「これで、よしっと・・・これだけあればアベルでも充分事足りるでしょう」
手に持っていた瓶に中身を詰めてきゅっと締めるとテーブルの上に置いた。
テーブルの上には同じ様な瓶が山ほど置いてあった。
着ていたエプロンを脱いで一息入れようと紅茶の準備をし始める。
丁度、その時、先程の瓶の中身を作っていた匂いに釣られたのか噂の人物が現れた。
ヴァレニエの誘惑
「さぁーん!何ですか!?この甘い匂い!」
扉を破壊せんとする勢いで飛び込んできた月光の如き輝きを放つ長髪を持つ一人の神父。
「アベル、扉壊したら弁償だからね」
「あ、すみません。つい、興奮して」
眉尻を下げて情けない表情を浮かべるアベルに困った笑いを浮かべながらも座る様に椅子へ促す。
アベルは椅子に大人しく座ると机の上に並べられた様々な色をした数々の瓶の中身にすぐさま夢中になった。
「さん!これってジャムですか!?それにしてはあまり果肉が・・・」
「ああ、それはヴァレニエって言ってかつてあったロシアと言う国の果肉の残っていないジャム。
厳密には違うけど。紅茶を片手にこれを舐めながら飲んだり、水に薄めて飲み物にしたりするそうよ」
「そうなんですか。もしかしてこれさんの手作りですか?」
瓶を傾けては陽光に輝くヴァレニエの赤を楽しげに見つめるアベル。
紅茶のセットを持って隣に座るとアベルの手からその瓶を取った。
「そうよ。アベルに上げるつもりだったから今、ちょっと食べてみる?」
「私にですか!?これ、全部!?」
「ええ、貴方、いつも紅茶に砂糖を山盛り入れるから体に悪いと思ってね。
これなら果物の栄養も取れるし、砂糖よりは幾分増しだし。まあ、味見に今、小皿に取ってあげる」
「有難う御座います!さん!」
瓶の蓋を開けて小皿に取ると小指に少しヴァレニエを取って舐めてみる。
ベリーの甘酸っぱい味が口の中に広がり、程よい甘みが幸せな心地にする。
それを横目で羨ましそうに今にも涎を垂らしそうな勢いで見つめるアベル。
私は苦笑を再び浮かべて小皿を渡そうと手を伸ばした。
「そんな顔しなくても食べていいわよ」
「じゃあ、遠慮なく・・・ん!美味しいです!さん!!」
「そう?それならよかった。全部あげるけれど、一度に食べちゃ駄目よ?」
「はい!」
嬉しそうにヴァレニエを頬張りながら笑うアベルに釣られて私も再び小指にヴァレニエを取る。
すると、横に居たアベルが何を思ったかそのまま私の腕を掴む。
「ちょっと?アベル・・・きゃっ!?」
「ごちそうさまです」
何事だと見ていたらそのまま小指を口に含まれて私は小さな悲鳴をあげた。
アベルは満足そうに笑って、こっちの方が甘いですね〜、なんて呑気に言っているがこっちはそれ所じゃない。
口の中から解放された小指をぺろりとアベルが舐め取る様子を直視していて羞恥心増大中なのだ。
更に女としての本能が甘く痺れる感覚が背筋を這い上がる様に感じるのだから。
それを知ってか知らずかアベルは普段と違い少し艶を含んだ声を耳元で紡ぐ。
「どうかしましたか?さん」
「ア、ベル・・・」
「なんですか・・・・ごほっ!?」
羞恥で耳まで真っ赤になった私は小さく震えながら思わず手に取ったものを振り被った。
「この、ばかっ!!救いようのない馬鹿!!いきなり何するのよ!?」
「い、痛いです〜さん・・・」
「知らない!もうヴァレニエ全部没収!」
「そ、そんな!?謝りますからそれだけは!」
アベルを殴ったヴァレニエの瓶を片手にそっぽを向くとアベルは縋りつく様に腰に抱きついてきた。
それを横目で見ながら全くしょうがない男だとまだ高鳴る心臓を誤魔化す様に大きく溜息を吐くのだった。
甘く蕩けるヴァレニエの様な感情。
(全て蕩けて混じり合ってしまいたいと思う)
(そんな恋を私はこの男にしているのだ・・・かなり不本意ながら、ね)
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