指輪争奪戦だとか十年後の戦いだとかが終わってから十年の月日が流れた。
十代目は正式にボンゴレを継ぎ、
その姉であるさんも影武者としてイタリアの地へと足を踏み入れた。
場所がイタリアに変わっただけで並盛に居る頃とそこまで変化はなかった。

「獄寺君、御疲れ様」
「―――っっ!お、疲れ、様で、す・・・様」

そう、変化はない筈だった。
だが、彼女は俺を隼人と呼ばなくなり、俺は彼女を様付けして呼ぶ様になった。
決して互いに強要した訳ではないし、別にそう呼ぶ事、呼ばれる事に不都合がある訳じゃない。
いや、不都合はあったのかもしれない。
その呼び方が酷く距離を感じさせるもので
俺は呼ばれる度に胸が締め付けられ、果ては引き裂かれる様な感覚に陥る程だった事は確かだから。






自分に出来得る全てを捧げて







(―――今日も、また、獄寺君と呼ばれた)

十代目に報告を終えてさんと擦れ違った後、
俺は私室に戻り、扉をくぐると同時にそのままずるずると座りこんでしまった。
新しい煙草を銜え、ジッポーを鳴らすがオイル切れか火が点かない。
何度か鳴らしたのちに結局点かず、苛立ちを覚えて思わずそれを投げ捨てた。
投げたそれは放物線を描いてベットの端に勢い良く飛んでいく。
だが、その投げたジッポーがどういった物だったかを
思い出し、慌てて立ち上がると駆け足でそれを拾いに行った。
投げたそれを拾い上げると壊れていないか丁寧に確かめる。

「取り合えず、大丈夫みてぇだな・・・良かった」

安心と同時にどっと力が抜けてベッドサイドに腰掛ける。
そして、手の中にあるそのジッポーを見つめた。

(成人した時にさんに貰ったんだよな、これ。あの頃はまだ隼人って呼んでくれていて・・・)

ジッポーに彫られたさんの持つファルファッラの異名でシンボルである蝶と俺の名前。
確かさんが、私だと思って持っててね、なんて冗談めかして言ってた気がする。
それをなぞる様に指の腹で撫ぜる。

(あの頃が一番俺は幸せだったのかもしれない)

彼女の呼ぶ声が笑顔が柔らかく優しくて。
彼女と居るだけで心が満たされていてとてもとても幸せだったと言える。
あんなに近くて、交わす呼吸すら同じだと思える程に傍に居た彼女は今、果てしない遠い場所に居る。
片膝を抱えて俺は丸くなると大きく吐息を吐いた。

(苦しい・・・辛ぇ・・・)

泣き叫べたならばもっと楽だったかもしれない。
でも、重ねた歳の数だけ人は素直さを失くし、嘘で自分を塗り固める。
だから、俺は泣けなかった。
そんな折、ドアを軽く叩く音が静寂を守るこの部屋に軽やかに響く。
一体、こんな時間に誰だろうかと思い、珍しい訪問者の居る扉を開いた。

「こんな時間に一体誰・・・だ・・・!?、様・・・?」
「良かった。まだ寝てなかったんだね」

今まで貴女を想って眠れませんでした、とは言えず
取り合えずその言葉に同意するだけ同意して、俺は部屋に招き入れた。
彼女は意外にもあっさりその誘いを受けて、今は私室のソファに座って物珍しそうに辺りを見回していた。

「獄寺君の部屋って何もないのね」
「え、ええ、まあ・・・忙しい事もあって寝室に戻る事が少なくて・・・
どちらかと言えば執務室の方が物が多いかもしれません。それより、どうしてここに?」
「あー・・・うん、ちょっと御話をしたくて、ね」

意外な言葉に俺は目を見開いて彼女を見つめ動きを止めた。

「そう、ですか」
「うん、そう、なの」

互いにそう言い合うと会話が途切れた。
いや、俺が別に途切れさせた訳じゃないと思う。
だって、さんが話がしたかったと言ったからきっと何か用があるのだろうと思って
用件を切り出すのを待っているだけであって決して二人で話すのが久しぶりで緊張してる訳じゃない。
否、緊張はしているのは認めるがやはり会話が途切れたのは俺だけのせいではない。

「あの、様?」
「え、ああ・・・ごめんね。御話したくてとか言ったのに黙りこんじゃって」
「いえ!別にそれはいいんですけど・・・」
「うん、ごめん。えっと、ね・・・用件は実にシンプル・・・とは言い難いかな?」
「・・・えっと?それは、あの・・・?」

何処か歯切れの悪い言葉に俺は更に訳が判らなくなる。
すると、さんがまたごめんね、と
何度目か解らない謝罪を述べて少し深い呼吸を繰り返すと真剣な表情でこちらを見てきた。

「あのね!」
「は、はい!」

先程は打って変わっての勢いに呑まれて俺も勢いよく返事を返した。

「ツナとリボーンにいい加減に素直になって来いって怒られちゃったの」
「・・・・へ?」

予想外の言葉に俺は彼女が着て一体何度目になるのか判らない間抜けな顔を晒した。
いや、だって、怒られたと報告に来られてそれが一体どう俺と関係あるのかが解らない。
更に言えばあの二人に怒られるさんと言う図が殊更珍しいっていうか初めてではないだろうか。
それ以前に何に素直になれてと言われたのかとか色々疑問点が多過ぎる。
そんな俺の困惑を彼女は感じ取ったのか苦笑を浮かべると立ち上がり、俺の隣に腰を掛けてきた。
そして、俺の手を取るとまるで懺悔をする様にその俺の手を両手で包み額に添えた。

「私にとってね。獄寺君―――隼人君は特別なんだよ」
「俺、が・・・?」
「うん。でね、大切で特別だと意識し始めたのは
イタリアに来た頃位なんだけど、その意識し始めたのがまず問題だったの」

色々と何だか爆弾発言がされているのだが脳の処理速度が
凄まじい内容に追いつけないのか俺は何も言えないまま聞き手に回るばかりだった。

「私は、誰かを愛してはいけない存在だと
思い続けてたからこの想いは捨てなきゃいけないと思ったの」
「それは・・・影武者だからですか?」
「・・・うん。だって、影武者は守るべき相手を優先すべきだって思ってたし、
もし、愛しいって言う気持ちが一緒で心が通じ合ってしまえば別れは、辛くなる。
別に私が残されるならいいけど、きっと残されるのは相手の方だと思うから・・・」

瞳を伏せたまま話す彼女の感情は読めない。
彼女は確かに影武者だ。
守るべき者と契約を結び、その者の死を代わりに一度受ける。
ボンゴレに伝わる影の守護者"ネーロファルファッラ"となる事を選んだ彼女の役目。
だけど、俺はその話を聞いて今まで感じていた痛みなんて超える程の痛みが胸を貫いた。

(何て、それは孤独な事なのだろう)

彼女の優しさが彼女自身を苦しめて彼女の心を孤独に閉じ込めて、
幸せすらも享受する事を赦さず、重い役割が檻や枷の様に彼女を戒めているのだ。
俺が愛した人は誰よりも孤独を抱いてこんなにも酷い痛みと苦しみを感じていたのだ。
顔を歪めて、俺は衝動のままに気付けば彼女を抱き締めていた。
何もせずに居れる筈がなかった。

「・・・だから、私は君と距離を置いた。でも、それは間違いだって二人に怒られちゃった」
「ええ、十代目やリボーンさんの言う通りです。俺は・・・俺も、貴女を愛してます。
だから、貴女に距離を置かれて苦しかった。とてもとても苦しくて辛くて痛かった。」
「うん、ごめんね?」

彼女の腕が俺の背に回り謝罪の言葉が耳元で響く。
でも、俺はその言葉に首を横に振り、少し距離を離して
額を合わせると彼女の手を取り、赦しを乞う様に甲へ口付けた。

「俺はいいんです。今、貴女の気持ちを聞けた。それだけで充分です。
だからこそ、俺は言います。貴女が幸せを捨てる理由などない。貴女にだって権利はあるのです」
「・・・そう、かな?」
「俺は少なくともそう思います。確かに他の人より貴女は先に逝く可能性が高いでしょう。
だけど、決して貴女だけがそうである訳じゃない。だから、貴女にだって幸せになる権利はあるんです」

顔を上げて真っ直ぐに彼女を見つめると彼女の瞳は微かに潤んでいた。
そんな彼女の目尻に口付けを落とし、更に頬に、そして、唇に口付けた。
軽く口付け、少しだけ唇を離す。

「俺は残される苦しみよりも貴女が苦しみ悲しむ事の方がよっぽど辛い。
だから、どうか、貴女を愛させて下さい。そして、愛して頂けないでしょうか?」
「・・・隼人、君」
さん、俺には貴女が必要なんです」

その言葉を紡ぐと再びさんの唇を塞いだ。
さっきとは違って激しく貪るそのキスは俺の熱情そのものだった。
精一杯の気持ちを言葉にして、伝え切れない言葉を行動にして俺は彼女に示した。
そんな俺に彼女は答える様にそのキスを受けてくれた。
そして、唇を離してまだ呼吸も整わない内に彼女は小さく呟いた。

「私も、隼人君が必要だよ。ずっと、離さないで・・・」

きっと、それは初めて彼女が吐露した彼女の心からの願いだったのだと思う。


想いを紡ぎ始まる物語。
(今まで苦しんだ貴女に誰にも与えられない幸せを捧げたい)