触れ合える奇跡を知っている。
共に生きていられる奇跡を知っている。
そして、それが簡単に壊れてしまう奇跡だという事も知っている。
曖昧に続く不確かな奇跡
「まだ、起きていたの?姜維」
「―――。ええ、最後に策の見直しだけしてしまいたくて」
「そう。貴方らしいわね」
隣にそっと腰掛けると姜維の肩に体を預けるはそっと瞳を伏せた。
静寂が辺りを包む中、炎々と燃える松明の音だけが聴覚を刺激する。
「ねえ、姜維。今回の戦、本当は厳しいんでしょう?」
「そう、ですね。正直な所、かなり劣勢です。財政難でどうしても兵力差が生じてしまって」
困った様に眉を顰めて告げる姜維は酷く辛そうであった。
士気を下げない為とはいえ、誰にも伝えれず一人でも
多くの命が助かる様に策を練り、状況を打開する為に努力する。
それが軍師としての彼の仕事だとは言え、一人で重荷を背負う事は容易ではない。
冷徹であったなら辛くはなかったかもしれない。
だけど、姜維は誰よりも優しかった。
「仕方ない事なのだから貴方が気にする事はないのよ?皆、それは判っているつもりよ」
「ええ、それでも私は沢山の命をこの戦いで背負っていますから気負うなというのは無理ですよ」
「それも判るけど気負い過ぎて失敗してしまったじゃいけないでしょう?
ねえ、姜維。兵たち全員をとまでは言わないからせめて私だけでも信じて頂戴」
姜維の手をそっと握って真摯に訴えてくる。
想いがその手からひしひしと伝わる。
「・・・」
「私が全力でこの策を成功に導いてみせるって約束するから」
「―――ありがとう。」
漸く少し表情が和らいだ姜維がそっと手を握り返してきた事に安堵するとも柔らかい笑みを浮かべた。
姜維とは互いにそっと体を預け合い、束の間の時を過ごす。
それは彼らにとって戦前にすべき事の一つでもあった。
一度戦場に立てばそこは生と死が混在する異なる場所。
いつ死への境界を越えて逝ってしまうか判らないから少しでも長く傍に居て生きて帰って来ようと互いに誓う。
この温もりに。
「さて、明日も早いし、もう寝ましょう?」
「そうですね」
名残惜しいがそっと手を離して互いに別々に眠りについた。
そして、早朝より戦いは始まった。
何処に味方が何処に敵が居るか判らない混沌とした中を敵を倒しながら駆け巡る。
伝令の情報を聞き漏らさず一瞬一瞬の的確な判断を見誤らない様に全神経を尖らせる。
その時、伝令の声が響き渡る。
「味方本陣苦戦との報告です!」
「なっ!?防衛の為の兵はどうした!?」
「それが、敵の策によりほぼ全滅との事!」
呼吸を整えていたが伝令の言葉に顔を青くした。
本陣には策の指揮の為に残った姜維が居る。
何としても助けなければいけないとは瞬時に判断を下す。
「くっ!全兵この場を死守しろ!副将にこの場を任せ、私は本陣の救援に向かう!」
「む、無茶です!!単騎で敵兵の中を突入して救援など!」
「私はどうなろうが本陣を死守しなければ負け戦だ!形振りなど構ってられるか!」
それだけを告げては馬に跨ると全力で敵を薙ぎ倒し、戦場を抜けていく。
本陣に近付くに連れて敵の数に阻まれる。
もう、目前という所にまで迫っているというのにと歯を噛み締める。
「―――我が名は!蜀の名高き剣姫の首、欲しくば全員纏めて掛かって来るがよい!!」
大きな声を上げて名を名乗れば殺気が一気にこちらへと向く。
そして、一斉に次々に刃が襲い来る中、は力の限りに剣を振るい、敵兵を減らす。
だが、暫くすれば敵兵は束となり周りを囲む。
後退し、は吊り橋へと逃げていくが背後よりも敵が迫る。
絶体絶命かと思われた瞬間、はその場で高く跳躍し、兵の上を走りその場を抜ける。
思わぬ事に焦る兵たちを尻目に渡り斬るとそのまま吊り橋の紐を斬り落とした。
橋に乗っていた兵たちは唐突の事に対応出来ずそのまま崖へと落ちゆく。
それにより漸く道が開けるとは一目散に本陣へと入った。
「姜維!」
「!どうやって此処まで!?」
「本陣の敵兵はある程度削いだの。ただ、吊り橋を落としたから少々道が少なくなってしまったけど」
「そうですか。取り合えず、これで後は策が成功すれば・・・」
その時、丁度伝令が走って本陣へと入って来た。
「伝令!!敵本陣、奇襲策により制圧完了との事です!!」
「そうか!よくやった!!」
勝利の歓喜が響き渡り、と姜維はそっと微笑みあった。
そして、その日の勝利の宴を抜け出したは一人静かな木陰で星を肴に酒を嗜んでいた。
すると、誰かが近付いてくる音がして顔をあげる。
「こんな所に居たのか」
「姜維、主役が宴を抜け出してきていいの?」
「私が抜けても誰も気づかないさ」
苦笑を浮かべる姜維を見ては本陣へと視線をやる。
絶え間なく笑い声が響いてくる所を見ると確かに誰も気づかないだろう。
「そっか。あ、御酒いる?」
「少しだけ貰おうかな」
「じゃあ、どうぞ」
酒を注ぎ共に杯を組み交わすと空を仰ぎ見た。
眩く光る星の光と月光が幻想的なその光景に思わず目を細めて微笑む。
「戦の後とは思えない程、静かよね」
「ああ、でも、今日も沢山の命を失った」
「・・・ええ、早く全て終わればいいのにね。そしたら血で血を洗う事などなくなるのに」
直ぐには叶わないけど早くそうなって欲しいと誰もがそう思っているだろう。
だが、時代がそうは許さない。
そう、判って居ても言葉に出さずには居られなかったのは大切な者が居るからなのだろう。
「絶対に、生き抜いて二人で幸せになりたいわ。今も幸せだけどもっと穏やかな幸福で満たされたい」
「私もそう思う。今日だって単騎で敵兵に突撃したと聞いて肝を冷やしたんだから」
諌める様な言葉に苦々しい笑みを浮かべるしかないは素直に謝罪する。
「ごめん。どうしてもじっとしてられなくて」
「判ってるよ。きっと私でもそうしたかもしれない。だけど、本当に怖かったんだ」
杯を置くとの腕を掴んでその体を引き寄せる姜維。
胸に顔を埋める形になって倒れ込むとはそっと瞳を伏せた。
「私も、怖かったわ。伯約が死んでしまうかもしれないと知って」
「・・・」
「ふふ、まあ、無事だったんだからこの話は終わりにしましょう」
「そう、だね・・・」
互いに同じ様に不安なのだから。
その言葉を呑み込んではにっこりと微笑む。
「城へ戻ったら少しだけ休みを貰って久々に二人でゆっくりしたいわ」
「私も、何も考えずに一日を過ごしたい」
「ふふ、考える事は一緒ね」
触れ合いながら他愛もない言葉を交わす幸福を噛み締めながら二人の夜は更けていった。
それでも常に消えず互いの心にある失う恐怖は心の奥底に秘められたまま息づく。
何時か現実にならぬ様にと祈りながら。
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