「姜維の事が好きなの」

心臓が止まるかと思う程、嬉しかった彼女の言葉。
だけど、自分はまだまだ未熟で彼女に相応しい男になってから応えたいと思った。

「すみません。今は沢山学ばなければならない事もあってそういう事が考えられないんです」
「―――そっか。判った」

もっとちゃんと言葉にしていればこんな事にはならなかったのだろうか?






神様の悪戯は残酷すぎた







蜀を唐突に襲った呂布軍に私達は劣勢へと追い込まれた。
屍を踏みつける事も気にせず必死に戦わねば直結に死する状況。
それでも私は彼女を捜した。
まだ、ちゃんと想いも伝えていない。
彼女を守り、蜀を守り、共に生きていきたいという
想いを伝える為にも私は生きなければならないと必死に戦う。
闇夜に炎々と燃える炎の中、血に汚れて駆け回る。
そんな中、前方より様子の可笑しい光景が視界に入ってきた。
兵卒達が動揺し、怯んでいるのが目に入る。
慌てて私はその場に飛び込んで声を上げる。

「何を怯んでいる!!ここは戦場なのだぞ!!」
「姜維様!し、しかし・・・!!グワァアッ!」
「―――え?」

目の前に居た兵卒達が一瞬で切り刻まれる。
鮮血が舞い踊り、傍に居た私の頬にもその紅が飛び散った。
そうして、屍が積み上げられて開かれた道の先にある光景に私は言葉を失った。
はにかむ様に微笑んで私を好きだと言っていくれた愛しい女性がそこには居た。
味方である兵を斬り刻み歪な笑みを浮かべている。
冷徹な美がそこにはあった。
魅入られれば煉獄へと堕ちてしまいそうなそんな酷く冷たい瞳が私に向けられる。

「姜維、こんな所に居たのね。凄く捜しちゃって御陰で沢山殺しちゃった」

無邪気に笑って残酷な事を言い放つ彼女の姿に私は思わず後ずさった。

(違う・・・違う、違う、違う!!これは、なんかじゃない!!)

認めたくない為に私は胸中で叫ぶ。
でも、目の前に居るのは紛れもなくで、私は震えた声で必死に紡いだ。

「どう、して・・・?」
「どうして?ふふ、可笑しい事を聞くのね。姜維。全部、貴方の為よ?」
「私の為・・・?」
「そう、貴方の為・・・」

剣を片手にゆっくりと歩み寄ってきた彼女は空いている片方の手で私の頬を撫ぜた。
ぬるりと血が頬を汚す。

「蜀と言う箱庭に囚われた貴方を解放する為に、私は全てを壊しに来たの」
「私は囚われてなど!!」
「そう?本当にそう言えるの?」
「そ、れは・・・・」
「ほぉら、言えないでしょう?姜維は優しいから
そうやって庇うけど私には判るもの。姜維が好きだから私には絶対に判るのよ」

だから、一緒に行こう、と手を引いて微笑む彼女はあの頃と変わらない笑みを浮かべていた。
ただ、違うのは血塗れであると言うだけ。

(嗚呼、どうしてこんな事になってしまったのだろうか・・・)

大切だったのに、愛していたのに。
私は唇を噛み締めて後悔する。
あの時にちゃんと伝えていればこんな事にはならなかったのにと。
槍をきつく握り締めて、私はそっと瞳を閉じると
意を決した様に彼女の手を振り払い、槍を構え、目を見開いた。
彼女はきょとんとした表情でこちらを見て再び同じ様に首を傾げる。

「どうしたの?姜維、そんな怖い顔しないで行こうよ」
「私は、行けません」
「え?」
「私は行けません!例え相手が貴女であろうとも
蜀に仇なすならばこの姜伯約の槍を持って討ち取ります!」

私の言葉に彼女は目を見開いて立ち尽くす。
だけど、すぐに口角を上げて笑った。

「ふふ、あはっ、あははは!!姜維は優しいから滅びそうな蜀を放っておけないんだよね?
仕方ないなぁ。ちょっと面倒だけど少し姜維に眠ってもらってその間に蜀を滅ぼす事にしよう」

綺麗に微笑んだ彼女は剣を構えると一目散に真っ直ぐに私へ向かってきた。
私は慌てて槍でそれを受け止めると次へ次へと剣が振り下ろされる。
金属が交わる音が辺りに響き渡る。
隙を見つけて攻撃しなければ持たないと悟るも猛攻は止まる事がない。

「ほぉらぁ、姜維も攻撃していいんだよ?私が受け止めてあげるから」
「ぐっ・・・!!」

狂った様に笑う彼女に胸が締め付けられる。
どうして、どうして、私は、貴女をこんな風にしてしまったのだ?と涙が零れた。
その時、偶然かどうかは判らないが彼女の動きに隙が生まれた。

「うぉおおおおっ!!」

私はそこを見逃さず槍を力強く振るって彼女の胸へと突き刺した。
肉を裂く嫌な音と共に彼女の口から血が滴り落ちる。

「え・・・?かはっ!!」

槍を引き抜けば鮮血が溢れ出し、彼女の体が空を舞い、地に墜ちた。
咳き込みながら血を吐き出す彼女に槍を落として、体を起し、抱き締めた。

「私が、私が、ちゃんと伝えていればっ・・・!!」

こうして、貴女を殺す必要もなかったのに。
何度も血を吐き出すを必死に抱き締めて泣き叫ぶ。

「――――姜維」

そんな私の耳に柔らかな声が響く。
思わず私は顔を上げて目を見開いてを見た。
そこには狂気ではない別のものが彼女を満たしていた。

「あり、がと・・・・」
「え・・・?、一体、それは・・・?!?」

小さく呟かれた礼の言葉の意味を知る術もなく、それを最後に瞳を閉じて逝った彼女の名前を叫び続けた。
その後、何とか呂布軍を撃退し、持ち直した蜀の一室で私は驚くべき言葉を聞いた。

の謀反は謀略、だった・・・?」
「ええ、どうやらの女官に入った一人が異国の薬を使って彼女を操っていた様です」
「私としても、には申し分けない事をしてしまった。もっと、人事の際気をつけておれば・・・」
「殿、それは私とて同じです。いえ、皆気持ちは同じでしょう。
そんな簡単な策を見抜けなんだとは・・・もし、見抜けていれば彼女があんな死を向かえずに済んだのですから」

は、無実であると知った私は殆ど丞相と殿の会話が耳に入っては来なかった。
彼女が無実ならば私がした事は一体なんだったのだ。
無実だと知っていれば救えたのに、私は、この手で彼女を殺してしまった。

「ああ・・・うっ、あ・・・!」

私は声を押し殺して涙を流した。
今、その事実を知った私は漸く最期の彼女の言葉の意味を理解した。
最期の、彼女の微笑みの意味も。


残酷な神の采配に私は為す術もなかった。
(彼女の最期の言葉は、私を助けてくれてありがとうという意味だったのだろう)
(だが、それでも私はこの罪を背負い続けて悔恨に苛まれる日々を過ごすだろう。彼女が望まずとも)