表裏一体の劣情








第一印象は割りと悪かった気がする。
遅刻はするし、ふらりと居なくなるし、自分勝手で身勝手。
目尻を下げて頼り無さそうに笑って、甘えてくる手の掛かる後輩。
ただの後輩としか思って居なかったのだ。
それを変えたのは彼が自転車に乗っている時の姿を初めて見た時だった。
誰よりも彼は風に乗って走る事に生を感じていた。
輝く瞳の奥底に感じる力強さは何とも言い難い魅力を放っていた。
そして、私はその魅力に瞬時に魅了されてしまったのだ。
恋はするのではなく、堕ちるものだ、なんて使い古されたフレーズがふと思い浮かぶがまさにこの恋はそれだった。
彼の全てが私を惑わし、いつしかもう逃れる事のできない所まで来てしまっていた。
炎のように揺らめき燃え上がる劣情が、恋情が私自身も焦がさんとばかりに迫ってくる。
そして、私は今、過ちを犯すのだと思う。

「真波・・・?寝てるの・・・?」

部室にある机で静かに寝息を立てる彼の横顔を覗き込む。
長い睫が影を作り、薄っすらと紅く薄い唇が誘う様に少し開いていた。
私は思わず生唾をごくりと飲んで、それを見つめた。
触れてみたいという欲望が心の奥底から湧き上がり、衝動となって襲ってくる。
理性と葛藤しつつも私の視線は彼の唇に注がれてばかりだった。
なけなしの理性など、呆気なく崩壊して、私は微かに震えながらそっとその唇に自身の唇を寄せた。
思いの外、柔らかいそれを堪能する様に瞳を閉じる。
ただ、触れているだけだというのにとんでもなく触れた所が熱くなる。
熱を帯び、甘い痺れが脳髄を走り抜けて行く様な感覚にぞくりと粟立つ肌に自分の淫乱さを指摘されているようだった。
私はゆっくりと唇を離して、静かに息を吐き出した。
先ほどまで彼のそれに触れていた所を細い指先でそっと撫ぜる。

「もっと・・・」

触れたい。
ただ、純粋にそれだけを切望し、切なげに目を細めた瞬間、
唇を撫ぜていた手と逆の手を誰かにがっしりと捕まれ、その思考は一瞬で消え去る。
驚きに肩を上下に揺らし、後方に逃げようとしたが握られた手がそうさせてくれなかった。
握ってきた相手など、この空間には一人しかいなかった。
だって、ここには私と真波しかいないのだから。

「ま、真波・・・」
先輩。何、してたんですか?」

開かれた瞳はいつもと変わらぬというのに有無を言わさぬ迫力があった。
気付かれてしまった事で嫌われてしまうのではないかという恐怖から私は唇を震わせる事しか出来なかった。
ただ、ただ、暗闇に落ちるような恐怖が自身を支配していく中、目の前の彼は何とも意外な行動に出たのだった
手を握る手と逆の手を伸ばし、私の唇にそっと触れる。
優しく、撫ぜる指先に驚き、目を丸くしていると真波は見た事もない妖しい笑みを浮かべた。

「この唇が俺の唇に触れてましたよね?」

ただ、愉しげに事実を突きつけてくる真波の真意が分からず、私は戸惑いに口を噤む。
真波はそんな私を見て、笑みを深めると、別に怒ってないですよ、と淡々と告げた。

「じゃあ・・・何?」

漸く言葉に出来たのはたったその一言だけ。
正常に回っていない思考の中、必死に絞り出せたその一言に真波はまた、笑みを深めた。

「いや、そんなのじゃ物足りなくないかなって思って。もっとこんな風に触れた方が先輩も喜ぶんじゃない?」

何を言っているのだと反論しようとした矢先に唇に触れていた指先ががっちりと顎を捉え、
腕を捕らえていた手は素早く腰に回されて強く抱き締められる。

「んっ・・・!?」

先程とは全く違う唇の感触が私を襲う。
顎を捕らえられたせいで薄く開いた唇から真波の舌がぬるりと侵入して、口腔を刺激する。
生き物のように蠢き、蹂躙されて、粘着質な音が静かな室内に響き渡る。
角度を変えて何度も何度も繰り返されるそれに次第に息が荒くなり、私は離れようとその逞しい胸板を押すがびくりともしない。
次第に頭がぼーっとして熱に浮かされた様に四肢の力が緩まる。
そんな私をほくそ笑むように瞳を細めて、もう一度名残惜しそうに舌を吸われ、唇が漸く離れていく。
銀糸が二人を繋ぎ、酷く艶かしい。

「・・・先輩、頬真っ赤にして、目は潤んでて、物欲しそうで厭らしいなぁ」

真波の言葉に羞恥し、目を逸らす。
酸素が少ないせいで回らない思考で必死に状況を把握しようとするけど、正直、無理な話だった。
私は、そんな中、絞り出すように真波に問う。

「なんで・・・?こんな事するの・・・?」
「俺、前から欲しかったんだ。先輩の事」

抱き締め直されて、耳元でそう囁かれる。
そして、軽いキスを耳に落として更に言葉を続けた。

「薄々同じ気持ちだって気付いてたんだけど、さっき触れられた時にさ。
俺、想像以上に先輩の事が欲しかったみたいで、なんか止まんないだよね」

その言葉には微かな狂気すら含んでいて私の身体は本能的に粟立つ。
危険だと逃げろと警告音がするのに足は動かない。
それは、恐怖ではない何かが突き動かしているようだった。
たぶん、私は喜んでいるんだと思う。
心の奥底で真波にならば全てを奪われても構わないと寧ろ、そうして欲しいと思っている。

「ねえ、先輩。俺に、全部ちょうだい?」

いつものように甘える様に強請る彼の声にもう、抗える術など私には残されていなかった。