ここ最近、色々な事があって疲れてたんだと思う。

「あ」
「どうかしたの?壬晴?」
「弁当、忘れた」

いつも必ず確認して持って来るそれを忘れるなんて。






狼さん、いらっしゃい







「珍しいね。壬晴君がお弁当忘れるなんて」

本当に何をしてるんだろうかと自分でも思う。
いつもいつも、入れて確認して、出る前にもう一度確認するのに。

(姉さんに悪い事をしてしまった・・・)

だけど、忘れてしまったものは仕方がないと財布を手にして購買に行こうかと思い、立ち上がる。
が、教室の扉の方を見ると学生服を着ていない女性が視線を集めていた。
女性はきょろきょろと誰かを捜している様で辺りを見回している。
その様子が殊更、人の視線を集めているが余程急いでいるらしく、気づいてはいない。
周りは一体誰なのだと口々に囁き合っているが俺はそれ所じゃなかった。
だって、その女性はとても見慣れた人で見間違える事など有り得ない程、大切な人。
声を上げて知らせようかとか考えるよりも先に俺の身体は動いていて、足早にその人に駆け寄る。
すると、向かう途中で俺に気づいたその人は顔を穏やかに綻ばせてこちらに手を振る。
やっぱり見間違えなんかじゃなかった。
見間違える事なんてまず絶対に有り得ないんだけれど。

「壬晴。忘れ物」
姉さん」

丈の長い黒のワンピースの裾と髪をゆらゆらと風に揺らしながら微笑む姉さんの手を引いてそのまま教室を後にした。
目立つからというのもあるが何よりも姉さんの姿を他に見られているのが嫌だった。
だけど・・・

「何で、虹一や雷鳴、それに雲平先生まで一緒に来るの?」

姉さんの手を握りながら三人に問えば三人が三人とも苦笑を浮かべる。
大方、好奇心故に着いて来たんだろうけれど。
まあ、雷鳴はいい。
だけど、他の二人は男という時点で姉さんを視界に入れる事すら許し難い。
今となってはもう時既に遅しだけど。
だから、溜息を吐きながら眉根を寄せてしまうのは致し方がない事だった。

「壬晴、私、迷惑だったかしら・・・?」

しかし、俺がそんな不機嫌な表情を珍しく浮かべているのを見た姉さんが困惑した表情でおずおずと尋ねた。
姉さんが気にする事でもないのに、心優しい姉さんは自分のせいではないかと勘違いしてしまったのだった。
そんな姉さんに優しく微笑み、そんなことないよ、と言えばほっと息を吐き、いつもの笑顔に戻ってくれた。
俺はこの姉さんの笑顔を見るだけで心から幸せになれる。
正し、他の男に向けられる場合は別である。
だが、姉さんに俺の心を読む術なんてないが為、姉さんの視線は他の三人へと向き、笑みも三人に向けられる。

「えっと、虹一君に雷鳴さん。そして、雲平先生ですね?
初めまして、壬晴の姉のです。壬晴からは話を聞いた事はなかったのですが祖母から御噂を聞いております」

丁寧にお辞儀をして挨拶をする姉さんを見て三人はその笑顔に魅了される様に固まる。
大体、姉さんに初めて会う人はこんな反応を見せるのだ。
時折、特殊なフェロモンでも出ているのではないかと思う事がある。
案の定、我に返った三人は顔を紅く染めて挨拶を返す。
それより、ばっちゃん。
姉さんに男の話なんかしないでいいのに。

「は、初めまして。壬晴君にこんな綺麗なお姉さんが居たんだね」
「な、何で教えてくれなかったの!?」
「は、初めまして。雲平・帷・デュランダルです。いや、本当に御美しいですね」
「ふふ、御世辞は結構ですよ?」

そういう風な目で見る男共が居たからとは言えず黙秘して、姉さんの前に立つ。
これ以上、他の男に構わせて堪るかと思いながら。

「それより姉さん。わざわざ弁当届けに来てくれたの?」
「ええ。だって、壬晴も困るだろうし、何よりいつも帰ってきて美味しかったの一言が聞けなくなるでしょう?」

実を言うと俺の弁当は毎日姉さんが試行錯誤して作ってくれる力作なのだ。
そんな姉さんの工夫の賜物で好き嫌いは一つもない。
だから、いつも帰宅すると真っ先に空の弁当箱を出して、姉さんに美味しかったと礼を述べる。
でも、それが姉さんの喜びになっていたとは初耳だ。
思わず照れて言葉が出ず、弁当を受け取りながら、ありがとう、とだけ漸く呟く。
姉さんはその様子に、いいえ、とだけ呟いてこれ以上邪魔になっては行けないからと足早に帰っていった。
一瞬、このまま一緒に帰ってしまおうかとも思ったが流石に姉さんに怒られるだろうと思ってそれは止めた。
何より姉さんに嫌われる事だけはしたくないし。(悪い虫がつかない様にするのは別の話)
取り敢えず姉さんと必要以上に会話をさせずに済んだ人達の方へと振り返ると、
色々聞きたい事があると好奇心旺盛な瞳を三人が三人とも輝かせて近付いてきた。
だけど、俺は一つも教えてやる気はない。
姉さんは俺だけの姉さんだし、他の男に易々とくれてやる気もないからだ。
今までもこれからも。
だから、俺は雷鳴以外の二人の服の袖を引っ張って引き寄せる。
二人は驚き何事だと目を丸くするけれど、有無を言わさぬ笑みを浮かべて口を開いた。

「虹一、雲平先生。俺のに近付いたら容赦なく叩きのめすからね?」

笑顔と裏腹の殺気を感じたらしい二人は顔を真っ青にしてその場に立ち尽くす。
これで釘はしっかりと刺せただろうと心の中でほくそ笑む。
そして、俺はそんな二人を置いて雷鳴と二人教室に戻るのだった。


美女を狙う狼を狩る腕利きの狩人。
(壬晴って凄くシスコンなんだね・・・気持ち判らなくもないけど)
(雷鳴。雷鳴も姉さんに他の男紹介しないでね。特に小太郎とか紹介したら刺すから)