人は単なる政略結婚と申すでしょう。
あの無表情、無感情、冷徹、冷酷なあの方を見て。
しかし、それはあの方の本来の姿に非ず。
私はそれを知っているからこそこの婚姻は政略と一言で申すものではないと人に言いましょう。
幾億、幾千の人が否定しても。






言ノ葉







慌しい城中の一角で日の光を浴びて静かに茶を啜る人物が一人。
城主である毛利元就が妻、
夫と違い、温和で人柄も良く、頭脳明晰、容姿端麗。
更には武術の才まで持つ才女中の才女。
そのは朱色を基調とした着物を身に纏い、湯飲みを片手に庭を眺めて微笑んでいた。
城中では戦が近いと騒がれている為、女中達の間では不安に思う者も多いと言う中である。
余程の大物なのやらどうなのやら。

はおらぬのか?」

そんなのんびりと穏やかな時間を過ごしていたを呼ぶ声が部屋の奥から響いてきた。
は湯飲みを置くと身体の向きを変えてそれに答える。

「元就様。はこちらでございます」
「・・・ここに居ったか。そなた・・・この騒がしい中、よう茶など飲んでおれるな」

漸く目的の人物を見つけた元就がその姿を確認するや否や思わず溜息を交えてそう呟く。
元就とてこの城の城主であるからこそ戦が始まるという不安に駆られている城中の様子など百も承知。
だからこそ妻であるが不安に思っているのではないかと少し気がかりに思い、急いで捜していたというの・・・
まさかのんびりとお茶を飲んで寛いでいるとは思いもしなかったのであろう。
冷徹非情と言われる元就であるが実を言うとかなりの愛妻家だったりする。
この世の何よりもを愛しみ、常に気にかけている。
本来、心優しき御仁なのだが不器用な為に多々誤解を招いてしまうのだ。
しかし、城中では一昔前に比べれば元就の性格も理解されてきた。
というのも全てはの尽力の賜物なのだが。

「ふふ。私が慌てた所で何も為りますまい。戦事、政は元就様の御仕事に御座います。
元就様が何か尽力せいと言われぬ限り、私はただ信じて事の成り行きを見守るのが役目と心得ておりますゆえ」
「それでかまわぬ。だが、一応明確な事を告げていない為に少しは不安を感じているがと思ったが・・・」

隣に腰を降ろし元就も庭を見る。

「微塵もなかったので気が抜けた、というところでしょうか?」

全てを見通している様にが言えば再び元就が溜息を吐く。

「そんなところだ。・・・我にも茶を」
「ふふ。ただいま」

茶を注ぎ手渡すと二人して朝露がまだ残る庭を眺める。
元就が愛する日輪が穏やかな光を庭に注ぐ。
その様に庭を造るように指示をしたのは言うまでもなく元就なのだがはこの元就が造った庭が特に好きだった。
元就が戦で留守をしている間は普段よりも多くこの庭に足を運ぶ。
どこか元就を感じられるからという理由でだ。
元就も元就でこの庭を好いていた。
元より自分が気に入るように造らせた庭であったがと共にここで過ごす事が多くなり、
思い出が増える毎にこの庭が好きになっていったのだ。

「この庭も年々木々が増え萌えゆき素晴らしい庭になって参りましたね」
「そうだな。・・・
「何で御座いましょう?」

首を傾げて元就に向き直る。
どこか真剣な声色を感じたからであろう。
静けさを増した辺りに木々が風に揺られて奏でる音だけが響く。
元就はそっと瞳を伏せて呟いた。

「間も無く戦が始まる」
「はい。そんな気はしておりました」

瞳をそっと開けて苦々しく眉を顰める。

「此度の戦はどうにも長くなりそうだ」
「そうで御座いますか・・・」

戦が長引くという事はそれだけ危険が伴うという事。
それに少なからずが笑顔を崩して寂しげに悲しげに表情を変えた。
長い睫がそっと陰影を濃くする。
そんなを元就はそっと髪を撫ぜ、慰める。

「そなたが不安に思う事はない。我の戦に敗北など有り得ぬ」

確信めいた元就の言葉。
力強く、心地よく。
信じてしまいそうになる
だけど、それを信じきれぬのがであった。
それは才がある故に。

「元就様・・・絶対こそ有り得ぬ事で御座います」

在るがまま、真実がままの言葉を述べるに元就は口角を挙げて笑む。
そう言うであろう事も想像出来ていたのであろう。
再び何かを述べようと唇が動く。
その時、風がぴたりと止まった。

「我が敗北すると申すか・・・?それこそ有り得ぬ。
我が敗北する事等なければそなたが傷付く事もない。そなたは我を信じていればよい」
「元就様・・・」

時が止まったかの様な一瞬、穏やかな笑みを浮かべた元就がそう言ってを腕に抱いた。
感じる温もりに埋もれながらはそっと瞳を閉じた。
最愛を感じて。

「そうで御座いますね。元就様がそう仰るのならそうなのでしょう」
「判ったならそれでよい。だから、そなたはこの城に残り、この城を守れ。
妻であるそなたがこの城を守るのだ。それがそなたのすべき事。良いな?」
「心得ました。元就様。では、元就様。
貴方様のお役目は戦に勝ち、無事に戻ってくる事です。お約束して下さいませ」

それは願うと言うよりも、乞うという方が正しい言葉だった。
どうか無事で戻ってきて欲しい。
どうか何事もなく。
痛々しいまでの真摯な願い。
元就はそれにそっと頷いた。

「約束してやろう。必ず守ると」
「ありがとうございます。元就様・・・」

瞳を伏せあい、互いに温もりだけを感じ合う。
風に揺られた葉から朝露が静かに零れ落ちる。
二人の願いをどうか叶えてあげて欲しいとでも言うかのように。



口にする願いと約束があればこそ。
(元就様。行ってらっしゃいませ。ご武運を。)
(行ってくる。そなたも息災に。)