静かに。
ただ、静かに貴女の名前を呼ぶ。
それだけの行為で心から湧き上がる想い。
貴女は気づいていますか?






蜘蛛の糸







「骸?どうかしたのか?」

さらりとした髪が彼女の歩く振動により肩からサラサラと滑り落ちる。
長く伸びる絹糸のようなその黒は、艶やかな蝶が描かれた単衣に零れ落ち同化する。

「骸?」

その様子をずっと見つめ黙る僕に何か不安を覚えたのか少し足早に近づいてきた。
淡雪のように真白な手を着物からちらつかせながら。
僕はその手を掴むと思いっきり引っ張り自らの方へその華奢な体を引き寄せた。
そして、背に手を回し、力一杯抱きしめる。
鼻腔を擽る微かに香る焚き染めた香の香りとそれとは違う甘い香りが僕を酔わせる。

。どこに行っていたんです?」

少し困ったように彼女が笑う。

「少し、十代目に呼ばれていたのだ。何か用でもあったのか?」
「いえ、用はありませんが。用がなくては呼んではいけませんか?」

彼女の瞳を覗き込み不安げに告げる。
すると、彼女は眼が零れてしまいやしないだろうかという程大きく瞳を見開いた。
だが、すぐに優しくも愛しむような笑みを浮かべて僕の頬に手を伸ばす。
微かに触れるその指先の温もりが冷えた頬を温かくする。

「やけに殊勝だな。呼んで悪い訳がないだろう?
お前が呼びたい時に呼べばいい。私はお前の為に尽力する事を惜しまない」

嬉しい筈であるその言葉にどこか今日は物足りなさを感じる。
何かが足りない。
それは、僕が霧の守護者であるからですか?
それは、貴女が大切にする弟である沢田綱吉の従者だからですか?
それとも・・・
そんな事を心の中で訴えかける。
すると、彼女はそっと僕の唇に唐突に口付けを施した。
進んでそのような行動をすることのない彼女に今度は僕が眼を見開く。

「骸。また、くだらぬ事を考えていたであろう?
私は骸だからこそ尽力したいと望むのだぞ?私の想いを間違えて汲み取るような事をするでないぞ」
。全く貴女には叶いませんね」
「ふふ。何を今更言っておる」

そう、今更だ。
今更、彼女の想いを試すような思考を浮かばせるなんて。
とんだ愚者だ。
どうも彼女のこととなるとメンタル面で弱さが出てしまう。
それほど、大切だからかと思えないこともないが。
もう少し強くならねばならないと自嘲した。

。なら、我が儘を言っていいでしょうか?」
「我が儘、か?私で出来ることならば尽力するぞ?」

そう告げる貴女を抱きその場に寝転がる。
槍で簾を止めていた紐を外し簾を器用に落とす。
そして、横になった彼女と向き合うとにっこりと微笑んだ。

「僕も貴女も働き過ぎです。だから、今日はゆっくりと一緒に寝ましょう」

僕の言葉に彼女は一瞬止まるも楽しげに微笑を湛えた。

「そうだな。たまにはよいかもしれぬな」

彼女の了承の意を聞くと互いに身を寄せ合った。
聞こえる鼓動が身を癒す。
やがて静かに穏やかに訪れた睡魔にその身を互いに委ねた。



暗雲立ち込める心に響く貴女の声はまるで救いの蜘蛛の糸。
(貴女だけが僕を地獄から救い出す。)