薄暗い陰鬱で退屈で何の悦楽も至福も存在しない世界―――魔界。
つい最近まで傍らに居たある者が居ないだけでこうも世界は無意味か。
嗚呼、こんな世界など私には必要がない。
上だ・・・上だ!上だ!地上へ!
あの者が向かった地上へ行こう。
あの者の居ない世界等見捨てて黒翼を広げいざ羽ばたかん!






エメラルドアンモビウム







「ここね・・・」

馨しい香りがする。
花にも蜜にも毒にも似た香り。
エメラルドの魔人はここに居る。
薄く漂う瘴気、彼が好む微かな謎の気配、そして、私が好む欲の気配。
あの者は謎に貪欲であるのと同じく、私は欲に貪欲である。
私もあの者と同じ突然変異種の魔人。
欲を喰らい生きる魔人だから。
金属を叩き響かせる様な音をヒールで鳴らしてある一枚の扉まで辿り着いた。
この扉の向こうに間違いなくあれは居る。
常に謎に飢え、謎を求め、謎を欲し、空腹でいるあの魔人が。
私は形の良い唇を弓形に歪めて微笑んだ。
そして、決して声には出さずに彼の名を呼んだ。

―――ネウロ・・・と。

すると、数秒もしない内に中で大きな物音を立てて何かが倒れる。
騒々しい足音と共に扉が勢いよく開かれた。
目の前に広がるのは欲して欲して止まなかったエメラルドグリーンの瞳。
嗚呼、やっぱりここに居た。
驚愕に染まるエメラルドを見つめながら私はそっと手を伸ばしその頬に触れた。
同じエメラルドグリーンの瞳で見つめ返しながら。

「久しぶりね・・・ネウロ」

慈しむ様に愛しむ様に。
生きとし生ける者の中で最も私に近しく、最も私を愛している、最愛の・・・弟を抱いた。

「姉上!?何故、我輩を追って来た!?」

気配を感じて私だと判っていても驚きは隠し得なかったらしい。
理由はそれだけではなく、私の体質もある。
だけど、敢えてその言葉は聞こえなかったフリをして部屋へと進む。
さっき倒れたらしい椅子が転がっており、それを直すと辺りを見回す。

「人間と一緒に居ると聞いていたけれど今は留守なのね」
「姉上!!!」

漸く私の名を呼んだネウロに満足した私はそっとソファに腰掛けて足を組む。
悠然と優雅に。
そして、有無を言わさない微笑みで宣言する。

「私は帰らないわよ。貴方が帰るまでここに居るつもりだから」
「何を言っている!は瘴気がなければ弱体化が急速に早まる体質。
言うなれば魔界でしか生きられぬその身体で地上に居る事など無理だ!!」
「いいえ。可能だわ。人間の住まう地上で住む事は。欲を喰らえば幾らでも」

欲を喰らえば私は魔力で自身を強化する事ができる。
元々、食事をする事はあまり好きではないのだがこの地上では仕方がない。
第一、私にとって何よりも重要なのはネウロの傍に居る事。
無欲な私が唯一欲するものは最愛のネウロだけ。
その為ならば死にかけようがどうしようがどうでもいい。
世界はネウロ、ネウロは世界なのだ。
勿論、目の前のネウロもそれは理解している筈だ。
こうなる事もどこか予感していただろうし。
ネウロは私の背後に回るとそっとソファ越しに抱きしめる。

「解った。もう、何も言わない。だが、もしその身が死を迎えそうな程弱体化したら魔界に強制的に送り返す」
「ふふ。解ったわ。でも、きっと大丈夫よ。この人の世界は欲が止め処なく溢れているから。
それも良質な悪意のある欲がね。私は善意のある欲でも喰らえるから尚の事問題はないわ。それに貴方の謎に対する欲でもね」

ついに折れたネウロにそう宣告すればほっと安心した様な表情を浮かべる。
ネウロにとって私はかけがえのない存在。
愛情の唯一の対象。
それ以外のものは謎に関係する者以外興味を持たない。
私にとってネウロはかけがえない存在。
愛情の唯一の対象。
そして、私の唯一の欲望、興味対象。
それ以外は興味も関心もない。
食する事も何もかも。
私は最も魔人らしからぬ魔人であり、最も魔人らしい魔人なのだ。

「ネウロ。少し、眠るわ。まだ人の世界の空気が馴染まないから・・・」
「ああ。ゆっくりと眠れ。もう、置いていこうなどと考えはしないから」

ソファに身体を横たえる私の頬をそっと撫でて額に口付けを落すネウロ。
その様子に安らかな笑みを浮かべて瞳を伏せる。

「ええ・・・おやすみなさい。ネウロ。我が最愛よ」
「おやすみ。。我が最愛よ」

血族同士の愛は禁断とは人の世の理。
我らに人の世の理など存在しない。
故にこの最愛は確立する。
ただ、この最愛は人の最愛とはまた異なるモノ。



魂を共有する証を刻み告げる合言葉。
(我が最愛よ。片や命が失われれば片や命も共にあらん事を。)
(そんな不変的永遠の誓いに似しものなのだ。)