六月、ジューンブライドなんて言葉があるけれど雨ばかりのこの月など余りいい事がない。
来る日も来る日も雨、雨、雨。
晴れたと思ってもまた雨。
湿気で何とも言えぬ暑さが付き纏う。
嗚呼、こんな憂鬱な気持ちになる六月なんて嫌いだ。
濡れて、濡れて、貴方に抱かれて
「まずい。遅刻しそう」
放課後、漸く用事を片して時計を見れば事務所に向かう時間を後僅かで指そうと針が一生懸命動いていた。
遅刻しても弥子ちゃんみたいに怒られる事はないのだけれどもし遅れればどんな恥ずかしい要求をされるか解ったもんじゃない。
加減はしてくれている様なのだが一度遅れた際に一日メイドをやれと言われて物凄く短いメイド服を一日着せられた。
しかも、その後美味しく頂かれて腰が痛くて次の日一日動けなかった。
そんな過去の記憶が甦り、思わず顔を蒼くする。
取り合えず回想に耽っている場合ではない。
急いで事務所に向かわなければ。
私は、机に置いていた鞄を掴むと一目散に駆け出した。
外に出れば空調の効いている室内よりも酷い湿気に襲われる。
じめじめとしたそれは少なからず私に不快感を与えた。
そして、頭上を見上げれば灰色の雲に覆われていていかにも雨が降りそうな天気だ。
「これは・・・一雨来るかも・・・」
朝は雲ひとつ無く快晴だったと言うのにますます急がなければいけなくなってしまった。
今、私は傘などという物は持ち合わせていないのだから。
しかし、そんな私の思いを裏切って雲行きが益々怪しくなっていき、ついに私の頬を濡らし始めた。
「うわぁっ!降ってきた!!」
一瞬、雨宿りをしようかとも考えたがそれよりも遅刻の恐怖に駆られて足を止める事が出来なかった。
冷たい雫を受けてずぶ濡れになってしまうなと考えていると不意に頭上が翳った。
「え・・・?」
驚きの余り足を止めると私の頭上に柔らかく何かが掛けられていた。
それは見覚えのある青で見間違える筈のない青だった。
「何を雨に濡れている」
「ネウロ・・・?」
そんな声を投げ掛けて来たのは目の前のノースリブのアンダーのみのネウロだったのだ。
そして、見覚えのある青はネウロのジャケット。
ネウロはと言うとどこか不機嫌そうに眉根を顰めて私を見下ろしている。
約束の時刻はとっくに過ぎていて遅刻で怒っているのだと思った私は視線を合わせられずに俯く。
ましてや様子を見に来てくれたネウロは雨に降られて濡れ鼠。
普通怒らない方がおかしい気がする。
「全くいつもより遅いから様子を見に来て見ればこれだ」
「ご、ごめん。急いだんだけどやっぱり遅くなっちゃって・・・」
「そんな事はどうでもいい。雨に濡れてまで急ぐな」
ジャケット越しにそっと頭を撫でられると私の身体に突如浮遊感が襲う。
そして、脳内に響く言葉はどうにも私の身を案じてくれている様な台詞。
「え・・・?」
「急ぐぞ。ジャケットをしっかり被ってしがみ付いていろ」
私の返答を聞く間も無く走り出すネウロ。
横抱きにされて雨から庇う様に走るネウロは雨に濡れた髪を頬に張り付かせどこか色っぽく感じた。
高鳴る心臓を誤魔化すようにぎゅっとジャケットを握り締める。
雨に濡れてまで急ぐな。
そんな言葉を掛けてもらえるなんて思わなくて私は嬉しさを噛み締めながら身を任せた。
そして、数分後、漸く事務所についたネウロと私。
私はジャケットを被らされていたからそこまで濡れなかったんだけどネウロは完全に濡れ鼠。
ソファにそのまま座るネウロの髪をそっと取り出したハンカチで拭く。
何故か弥子ちゃんと吾代さんの姿は無く(あかねちゃんも居なかった。)
二人きりのその部屋の中ただ雨音だけが響いていた。
延々と続く雫の音色は静寂をより一層引き立てていた。
「ごめんね。ネウロ。びしょ濡れにしちゃって」
「構わん。気にするな。我輩が勝手にやった事だ」
「うん・・・でも、そのままじゃ気持ち悪いでしょう?」
洋服も髪も完全に肌に張り付いているし、風邪の心配はないだろうけど不快感はある筈だ。
私はさっきまで被せられていたジャケットをハンガーに掛けてタオルを持ってくると濡れたネウロの水滴を拭おうとする。
が、しかしそれはネウロの手によって遮られる。
「ネウロ・・・?」
「そんなタオルなんぞでは乾く訳があるまい」
そう告げてネウロは私の手からタオルを取り上げると上着を脱ぎ捨てた。
鍛えられた無駄のない肉体が露になり、そこに髪から零れ落ちる雫が伝う。
水も滴るいい男。
なんて言葉がぴったりな程美しかった。
そんな唐突な出来事に見入ってしまっていた私はネウロの意地の悪い笑みに気付き、そこで漸く視線を逸らす。
「。人の裸を鑑賞するとは中々いい趣味を持っているな」
「そんな趣味、持ってません!!」
「くくっ。遠慮などしなくても我輩は一向に見られても構わんぞ?にならな」
両手を広げて近くで見ろと言わんばかりのネウロの態度に怒声を上げる。
「煩い!!」
茶化すような口調に反論して意地でも振り返るかと視線を逸らし続けていると背後から抱きすくめられた。
濡れた髪が掛かり頬に雫が伝う。
「冷たいっ!」
触れた肌は氷の様に冷たく冷え切っており私は思わず大きな声を上げた。
そんな私を見て嬉々と笑いを漏らすネウロはそのまま私の耳元で囁く。
「本当に冷え切ってしまったようだ。この責任、しっかり取ってもらうぞ?」
意味深な言葉を甘く低く艶やかに吐息交じりで囁かれた私は顔を林檎の様に赤く染める。
でも、確かに濡れ鼠になってしまったのは私の責任であるのは確かだ。
そう、思い直すと私はネウロに向き直る。
ネウロはそんな私を不思議そうに見つめるが私は視線を逸らしたまま告げた。
「何をすればいいの・・・?」
「・・・何?」
「だから!責任取るけど何をすればいいのって言ってるの!」
響く怒声にも似た叫びにネウロは再び目を丸くした後、実に愉快そうに口角を上げた。
そして、私とネウロはソファに沈んでいったのだ。
嗚呼、結局遅刻をしようがしまいが今日はこうなる運命だったのだと思いながら。
雨の日は憂鬱時々心拍数上昇、それは確信犯の仕業。
(その後、雨が降りそうだったからわざと迎えに来たと言う事を告げられた。)
(今度から折り畳み傘をどんな時でも持ち歩こう。絶対に。)
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