人は若年の身ながら私の出世を羨み、嫉んだ。
そして、時折、嫌がらせの一言では済まされない様な虐めにあう事もあった。
だが、私はそれでも耐えた。
幾ら傷つこうとも誰かに救いを求めれば負けだと思っていたからかもしれない。
あの日までは―――あの日、彼女と出会うまでは・・・







笑って、別れを告げよう







「え・・・?」

それは、本当に一瞬の出来事だった。

「ぐおっ・・・!?」
「だ、誰だ!?」

私を囲んでいた男の一人が部屋の扉を突き破って廊下へと吹き飛んだ。
他の男達も唐突の事に頭がついていかずに声を荒げて自分の背後にいる人物へと目を向けた。
一斉に男達が振り返ったその隙間から見えたのは漆黒の長い髪と雪の様に白い肌。
そして、にっこりと屈託のない鮮やかな笑みを浮かべた長身の女性だった。

「ねぇ、一つ聞いても宜しいかしら?」
「な、何なんだよ!?お前!!」
「お、おい!?待て!!」

一人の男が悠然と立つその女性の場にそぐわぬ発言に苛立ち胸倉を掴もうと近付く。
他の男が何やら慌てて止めに入ったが後の祭りだった。
掴もうと伸ばした男の腕は片手で止められ、
そのまま一捻りして背にその腕を持ってくるとそのまま床へと押し倒されたのだ。
軽々と細腕で巨体の男を倒した彼女は立ち上がると
その男の背に片足を置いて、他の男達にやはり先程と変わらぬ笑みを向けた。

「さて、一つ聞くけど貴方達は何をしているのかしら?こんな狭い部屋で鍛練とは言わないですよね?」
「それ、は・・・」

言い淀む男達は視線を逸らして答えようとはしない。
先程、私を嬲っていた時の傲慢かつ不遜な態度は見る影もない。
だが、それも当然であろう。
私がもし、あの男達の立場に立っていたならば
同じ様になると思う程に、笑顔で放たれる彼女の怒気と殺気は鋭かった。

「答えられない様な事をしていたという事ですか・・・
なら、質問を変えましょう。私が誰だが知っているものは?」
「そ、の・・・」

恐怖ゆえか声を震わし、何かを述べようとするがその先の声が続かない。
すると、彼女は一層笑みを深めると一瞬で
その微笑を消し去り、声を張り上げ、腰にある太刀を抜刀した。
鋭い刃が向けられて男達は一層竦み上がる。

「己の過ちに私の名すら述べれぬ者共が!!己が恥ずかしくないのか!?愚か者!!」
「す、すみませんっ!!」
「ど、どうか御赦しを!!」

気迫による圧力に負け、男達は床に平伏すと彼女は再び一喝した。

「謝るぐらいならば最初から同じ武や智をもって見返せ!!判ったならば去れ!!」
「ひぃいい!!」

最後のその言葉に弾かれる様にして男達は倒れた男を引き摺って部屋を後にしていった。
女はその後ろ姿を見届けると溜息を吐き、太刀を鞘に仕舞った。
そして、再びこちらに視線を向けると近付いてきて痣の出来た頬にそっと手を伸ばしてきた。
触れた先から痛みが走り、顔を顰める。

「大丈夫ですか?怪我は此処と他にもあるようですね・・・」
「あの、有難う御座います。助けて頂いて・・・えっと・・・」
「・・・ふふ、私はと申します。貴方とは会うのは初めてですが
御話は呂蒙殿達に聞いております。陸遜殿で間違いはありませんよね?」

と名乗ったその女性は先程とは違う柔らかな微笑みを称えてそう言ったので私は頷く。

「若年ながらも知略にも武にも長けた軍師だと聞いております。師である周泰もそう申しておりました」
「貴方は周泰殿の弟子なのですか?」

話をしながら部屋にあった薬箱を見つけるとそれを取りに走り、再び私の前に立った。
座って下さいと促されて、取り合えず椅子に座ると消毒薬で手際よく頬の傷を手当てしていく。
特に出来る事もないので顔を見つめていると先ほどの激昂した彼女はまるで別人の様に思えてくる。
今はただ、優しく物腰の柔らかな上品な女性。

「ええ・・・一人彷徨っている所を拾われて。こう見えても水賊でしたのよ?」
「それは・・・想像出来ません・・・」
「ふふ、先程あんな風に激昂した私を見てもですか?」
「あ・・・それは・・・」

指摘されて納得してしまった私は言葉を濁すと殿は愉快そうに笑みを浮かべた。

「すみません。意地悪が過ぎましたね」
「いえ・・・私こそ・・・」

そうこうしている内に手当ても終わり、薬箱を閉じる殿に礼を告げた。
すると、殿は笑顔を消して此方を真っ直ぐ見つめてきた。

「あの、一つ、聞いてもよろしいかしら?」
「はい?何でしょうか?」
「何故、貴方はされるがままで居たのですか?」

彼女の質問は予想外に鋭い刃の様に胸に突き刺さった。
確かに傍から見れば異様な光景だったのだろう。
一方的に仕打ちに耐えている光景は。

「別に、理由はありませ・・・」
「嘘、ですね。それに貴方は誰かに助けを求めた事があった風でもなかった」
「それは・・・」

的確に突いてくる彼女の言葉に顔を曇らせる。
殿の真っ直ぐな言葉は今の私には辛かった。
私だって最初は抵抗した。
しかし、一人に抵抗出来たとしたら二人に、二人に抵抗出来たら三人に。
幾ら抵抗した所で次々に増える自分を罵り、蔑む人々に何時しか私は疲れてしまった。
だが、助けを求めるのは負けだと思った。
だから、私は耐える道を選んだのだ。

「貴方は抵抗しなければ負けだとは思わなかったのですか?」
「え・・・?」
「抵抗しなければそれは武力で強行な手段を取ってきた相手を正当だと認めてしまう証。
耐える事は決して戦う事ではなく、逃げなのですよ。貴方は誰かに救いを求める事を負けだと思ったようですが」

きっぱりと言われた言葉に私は思わず呆然となる。
今まで、私がしてきた事は何だったのだと、涙が思わず零れそうになる。
だが、そんな私に彼女は表情を和らげると頭をそっと一撫でした。

「すみません、貴方を責めている訳じゃないのです。
ただ、武力による強行を良しとしてはならないという事と貴方の事が心配だっただけなんです」
殿・・・」
「まあ、また何かされたら私に言って下さい。
今度こそ全力で痛めつけてやりますからそんな気が起きない様に」

冗談めかしてそう告げる彼女に暗い気分を吹き飛ばされる。
それは彼女の人柄故なのかは判らないが久々に晴れ晴れとした気分になり、思わず声を上げて笑った。

「ははっ!ええ、そうですね。そうします。もし、一人でどうにもならなければ」
「ええ。では、私はそろそろ行きますね。怪我、お大事に」
「はい、ありがとうございます。殿」

去っていく彼女に立ち上がり、そう御辞儀をすると彼女は手を振ってそのまま立ち去っていった。
残された私はその背中を何時までも見守った。
年上とはいえ、女性に説教されてしまって漸く目が覚めるとは情けない。
でも、それ以上に私は・・・・

(私は彼女の様に・・・いえ、それ以上に強くなりたい)

そう、強く強く願った。


弱かった私に笑顔でさよならを。
(彼女の真っ直ぐな強さと優しさに憧れた)
(ただ、純粋に惹かれて、憧れたのだ)