単なる気紛れで拾ったものがこうも大切になるとは思わなかった。
ただ、あの頃は強さだけを求めていた。
それが如何なる虚構であっても私はそれを求める他なかった。
まだ幼く、未熟だった全てを失ったあの頃は。
至上の楽園
「なぁ?陸遜。お前はどうして専属で女官をつけないんだ?」
「私にはという女官兼副官がちゃんと居ますから必要ありません」
「まあ、確かにそうだけどさ。それだとさんが結構負担大きいんじゃないかと思ってさ。
大体、副官が女官やってるって時点で特殊だと思うだけどな。結構、女官の仕事って多いだろうし」
凌統殿が唐突に訊ねてきた他愛のない話。
私は仕事を片付けつつ、聞いていたのだがやけに意地の悪い笑みを浮かべている凌統殿。
一体なんなのだと観念して、筆を置くと噂の人物であるが先程置いていったお茶を一口。
茶葉の良い香りが鼻腔を擽り、深く息を吸い込めば少し疲れが癒える気がした。
「女官の仕事と言っても私の身の回りの世話だけですからそうでもないと思いますよ。
それに私の身の回りの世話は彼女が好きでやってる事なので気にしなくてもいいと思いますし」
「え?そうなの?」
「ええ、そうなんです。呉に仕官する時に彼女が私に唯一申し出た我が儘なんですよ」
私の言葉に、あのさんがね、と呟く。
そう呟くのは最も自然な事だと言えよう。
基本的に主人を中心と考え、余程の事がない限りは意見する事はない。
しいて言うならば周泰殿と似た類の人間なのだろう。
自分で言うのも何だがは主である私を心底慕っていると思う。
それは他者から見ても明白な従者としての完璧な忠誠心に似た様な感情。
だが、それとは違うものが実の所、私達の間にはあった。
きっと、目の前の人はそれに気付いているくせに敢えて触れないのだろう。
別に聞かれれば隠す必要も無い事なのだから普通に返答を返すのだが。
「まあ、結局、さんにとって陸遜は別格って事か。
でも、さんって陸遜が呉に仕官する以前からの知り合いって事は乳姉弟か何かなのか?」
「いいえ、と出逢ったのは私が陸家を任された頃です。
その時に縁あって主従の誓いを立てたのですよ。それを望んだのも彼女でしたね」
「へぇ、出逢った当初からさんの方がぞっこんだったんだな」
「そうでもないですよ。先に縋ったのは私の方ですから」
さらりと告げた言葉に凌統殿は頬を突いていた手をずるりと滑らせた。
「陸遜が・・・?」
「ええ、私も当時はまだ12歳の子供でしたからね。不安、だったのですよ。
人々は長なのだから泣くなと叱咤するばかりの中、唯一、私を案じてくれた人に縋るのは当然の反応だと思いますよ」
「まあ、確かに・・・」
思い返せば不思議な出逢いだった。
庭の片隅で一人泣いていた私の前に唐突に現れ、私を抱き締め、泣かないで、と言った彼女。
その温もりは陽だまりの様な優しさを秘めていて私を癒してくれた。
何処から来たのだ、と問えばこことは違う世界だ、と言われ、
今、考えれば良くそれを簡単に信じたものだと思うと同時に簡単に信じてよかったとも思う。
もし、それを信じなければこうして共に在る事はなかっただろう。
「あの頃は泣きながら何時も強くありたいとそれだけを願っていました。誰も苦しまず、悲しまない様に、と」
「今は違うのかい?」
「今は、そうでもないですね。今はただ、の一番近くを願っていますよ。
一人で強くなった所で出来る事は限られていますし、私にはこの先もずっとが必要ですから」
有無を言わさぬ笑みを浮かべてそう言い切れば凌統殿は観念した様に笑った。
「そうかい。じゃあ、俺はこの辺で失礼しようかね。噂のさんが扉の前で立ち尽くしてるし」
「・・・え?」
「じゃあ、後は頑張れよ。陸遜」
予想外の反撃に思わず目を丸くすれば凌統殿が向かった部屋の入り口には顔を紅く染めたが立っていた。
私も私で先程の言葉を聞かれていたかと思うと少し気恥ずかしい。
「あの、?」
「は、はい・・・!」
このままは少し居心地が悪いと思い、思いきって声を掛ければは控えめに駆け寄ってきた。
呼んで駆け寄ってくるのは日頃の従者としての彼女の性なのだろうか。
そんな事を思いつつ、私は咳払いを一つして改めて紡ぐ。
「さっきの言葉に偽りはありません。心から、そう思っていますから」
「・・・はい。どうぞ、御傍に此れからも置いて下さいませ」
そこまで言葉を交わして漸く私は少し気恥ずかしさが抜けて立ち上がった。
そして、そっと彼女を抱き締めてこの想いの全てが伝わればと瞳を閉じて告げる。
「今更、貴女を離す事など私には出来ませんよ」
貴女が傍に居るだけで世界の果てに行かなくても此処は地上の楽園と化す。
そんな貴女を誰か手放すと言うのだ。
どんな楽園よりも貴女の傍が至上の楽園。
(誰よりも愛しい貴女の傍だからこそ、幸福が満ち溢れているのです)
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