幼き頃、数十年昔の時空に飛ばされて間もない頃。
私は一人生きる術も知らずに森に居た。
もし、あの瞬間、貴女と出会わなければ私は命がなかったやもしれない。
でも、今思えば貴女は私を救う為にあの時空へと飛んでくれた様に思えてならない。






追憶の温もりと今







京の危機を救うも異世界へと逃げた茶吉尼天を追って来た私達は戦いを終えて、暫しの安らぎに満ちた穏やかな日々を送っていた。
というのも京に戻る事がままならぬ事情が出来てしまったからである。
だが、それも仕方なき事と皆もその穏やかな日々を楽しんでいた。
私も同じ様に。

「リズヴァーン。解れてるぞ」

穏やかな心持ちで縁側で陽光を浴びていた私の背後からそんな声が飛んできた。
それは懐かしさと愛おしさで心を満たす何よりも大切な人の声で驚きながらも振り返る。

「師匠・・・」
「・・・師匠はなしだって言っただろう?今の年の差を考えれば変だからと呼べと」
「すまない。まだ慣れないのだ」

苦笑を浮かべながら咎める我が師であり、応龍の神子である漆黒の少女はそう言うとそのまま私の隣に腰を下ろした。

「まあ、それはともかく、上着が解れているからちょっと脱ぎな。直してやるから」

どこからか糸と針を出して手を差し出すに素直に手渡せば手馴れた手つきで糸を針に通して、細々と縫い上げていく。
その姿を見ては幼き日の事を思い出す。
時空を自由に渡る力で幼き日の私の元に渡ってきた彼女は私に剣術や生きる術を教えた。
決してこの容姿を厭う事無く、私に尽くしてくれた恩を忘れた事などなかった。
白龍の神子が京に現れたと同じくして再び私の前に現れた彼女にどれ程、感激した事か。
守られてばっかりだったあの日々とは違い共に背を任せて戦う事が出来る事をどれ程喜んだ事か。
そして、今こうして穏やかな日々を共に過ごせる幸せが如何程のものか彼女は知らないであろう。
それでも今はいいのだ。
ただ、傍に居れるそれだけで私の心はこんなにも満たされるのだから。

「昔と変わらず器用だな。貴女は」
「リズヴァーンにとって昔でも私には数年前の事だからな。そう変わりはしないさ」

視線を下に向けながら今更何を言うのだと言わんばかりのその口調に今度は私が苦笑を浮かべた。

「そうだったな。貴女は今も昔も変わらず優しく美しい」

思った事をそのまま口に出すと彼女は勢いよく顔を己の足に埋めた。
一体何事だと不思議そうに見つめていると彼女はゆっくりと頬を赤らめさせながらこちらを見た。

「リズヴァーン。お前、いつからそんな女たらしな台詞を言う様になったんだ?そんな風に育てた覚えはないんだが?」
「そんなつもりは無かったが貴女にそんな顔をさせられる程、私が年を重ねただけだろう」
「・・・年の功って事か。それじゃあ、勝てないな。私は」

昔なら何を言っても自分が言い負かされていたが今はたまにぐらいならこんな風に言い負かせる様にもなった。
昔は貴女が年上で私が年下だったが今は私が年上で貴女が年下だからだろう。
それでも完全に言い負かせられないのは幼き自分を師である彼女が知っているからなのだと思う。
やはりそう思うと年齢が逆になった今も師と弟子という絆は強く長く続き続けるのだなと実感する。

「それにあの頃はあんなに可愛く小さかったのに今はこんなに大きく凛々しくなった。
全く驚かされる。だが、それと同時に嬉しく思うよ。やはり成長した大切な弟子の姿というのは師としては嬉しいものだ」

再び針仕事を再開した彼女がしみじみとそう呟く。
それに何とも言えぬ表情を浮かべて今度は自身が頬を染める羽目になる。
だが、その気持ちは判らぬでもなかった。
自分も九郎と言う弟子を持ち、その成長した姿を見た時、とても喜ばしい気持ちを抱いたからである。
だから、照れながらもただ微笑み瞳を伏せてやり過ごそうとする。
そんな姿に貴女はやはり笑いを浮かべられてパチンという鋏の音と共に上着を手渡してきた。

「ほら、これで解れは大丈夫な筈だ」
「すまない」
「気にするな。しかし、もう暫く滞在する事になりそうだし、少し衣類を買いに行くか」

裁縫道具を片付けて立ち上がった彼女は両腕を上げて伸びをすると息を静かに吐き出す。
その言葉が暗について来いと言っているのだと理解すると私も同じく立ち上がる。
彼女はその姿を見て何故か嬉しげに微笑み、私の手をそっと握った。
あの頃よりも大きくなった私の手は彼女の手を簡単に包み込んでしまう。
守られていただけの頃とは違うのだと実感出来るその感触にまた思わず笑みが出る。
嗚呼、今日は本当に昔を思い出してばかりだ。
過去ばかりを見るなとまたこの手の主に言われそうだがたまにはいいだろうと瞳を伏せた。
そして、引っ張られる感触を感じて再び瞳を開いて彼女の後に続くのだった。



今も昔も心を満たすのは貴女との事ばかり。
(それは敬愛と愛慕と二つの感情がある故に。)