青白い月が不気味な程に美しく輝く夜の事だ。
唐突に覆い被さられた私は驚く事も恐怖する事もなく、
覆い被さってきた彼の方の髪に触れる。
さらりとした感触は絹の様に滑らかで艶やかで美しく心地良かった。
寸分も違わぬ同じ髪色で髪質なのに
どうしてこうも感触が違うのだろうかと首をやや傾げる。
だが、そんな途方もない問いに対する興味は直ぐに失せて、
一度彼の人の瞳を見た後、視線を窓の外へ向けた。







狂気に満ちる満月の夜







「月が美しいですね。今宵は」
「そうか」

脈略もない言葉に大した驚きもなく、返事を返される。
長年傍に居る為の慣れなのかあっさりした返答だ。
だが、そういう返答が返ってくる事は判りきっていたので別に何とも思わない。
ただ、私も淡々と話を続けた。

「ええ、そうです。欠ける事無く満ちる月は普段の月と輝きが違います」
「欠けようが満ちようが所詮、月は月だ」

どうにも目の前のこの御方は風景の違いを楽しむという心がないようだ。
少しは自然を愛でる余裕も持てばいいものをと
思いながら彼の方に視線を戻し、反論を返す。

「それは物の捉え様で御座います。
その者が違うと思えば違う。その者が同じだと思えば同じ。
勿論、私は常に同じものなどないと思います。特に今宵は青白く末恐ろしい程に美しいですから」
「屁理屈だな」
「屁理屈だろうが理屈だろうが私にとっては真理です」
「・・・そうか」
「ええ、そうです」

微笑みを浮かべ紡いだ言葉を聞いて
彼の方は少し眉を動かしたが直ぐに何の色もない表情に戻る。
どんな感情を無表情という仮面の下に隠しているかなんて
この状況なら私にだって判るというのに何をそんなに隠したがるのか。
それとも軍師としての癖なのか。
またそんな途方のない疑問が浮かび消えゆく。
すると、彼の方は私の頬にそっとその手を這わせた。
殿方にしては細く長い美しい指先が頬を肌を這う感触は一種の快楽である。
思わず甘い吐息が零れそうになるもそれを理性で留める。
だが、その指で私の些細な変化を感じ取ったのか
それともまた別なのかは判らぬが彼の方の表情が変わった。
意地の悪い笑みが無表情と言う名の仮面が取れて、露になったのだ。

「己がそうと決めた事が真であり、理であると言うならば
私の行動も真理だと言う事になるな。そうであろう?

頬を撫でていた指先が唇を悩ましくなぞる。
誘う様な指先と言葉に私はくすりと笑い、首を傾げた。

「さぁ?それはどうでしょう。この世には世の理という絶対的な真理が在ります故に」

私の言葉に彼の方の動きはぴたりと止まった。
そして、眉間に深い皺が刻まれ、小さな溜息を吐き出す。

「―――お前は、水面に映る月の様だな。妖しく誘うが誘うだけで決して掴ませはしない」
「そんな事はありません。ただ、人は掴む方法を知らぬだけですよ」

瞳を伏せて彼の方の手を両手で取り、頬に擦り付ければ彼の方は距離を縮めてきた。
唇が触れそうな程に近いその距離で甘く囁き、私に問いを投げ掛けた。

「そうか?ならば、問おう。そなたを手に入れるにはどうすればいい?」
「簡単な事ですよ。望めば宜しいのです。ですが、それは理に適う人のみが出来る事ですが」
「我には出来ぬと申すか?」
「さぁ?どうでしょうか・・・」

私の言葉に笑みを取り戻したかと思えばその次の言葉にまた柳眉を顰める。
翻弄されている彼の方を見て楽しむ私は悪女かもしれない。
今度こそ彼の方は大きな溜息を吐き、目を細めて私を鋭く見下ろした。

「つくづく喰えぬな・・・」
「それは貴方様に似たからですわ」
「・・・そうか」
「ええ、そうですわ。兄上様」

これ見よがしに"兄上"と呼べば兄は私を更に鋭く見つめた。

「兄などと呼ぶな・・・」

激情と情欲とが入り混じりつつも努めて
冷静を装った声色でそう囁き、乱暴に唇を塞がれる。
私はただ、それを受け入れ、流される。
血を分け合った兄妹であり、禁忌であるという事も知りながら。
私は抗う事などしようとは思わなかった。
それは同じ様に兄を欲した訳でもなく、ただ、抗う事の無意味さを知っていたから。
所詮、この世の女は道具なのだと知っていたから。


果たして、狂気に染まっているのは兄か私か。
(禁忌に手を染める兄こそ人は狂気と言うのだろうけれど)