「仲達、この件だが・・・」

木簡を片手に司馬懿に向かって話を始める曹丕。
しかし、司馬懿の視線はその曹丕の腕の中に居る存在に注がれていた。

「あの、曹丕殿・・・」
「なんだ?」
殿が非常に不機嫌に見えるというか・・・その、体勢は如何なものかと・・・」





至上の熱情と傲慢な求愛







司馬懿が控えめに指摘をすると曹丕は一度、抱き締め、
膝の上に乗せているを見るが直ぐに視線を司馬懿に戻す。

「気にするな。とて気にしてはおらぬ」
「気にしているけれども曹丕様が私の言葉に耳を貸さぬだけでしょう!」

羞恥に顔を上げられずに居たが勢いよく曹丕に振り向き、怒声を上げる。
朱に染まった頬を隠す事なく、青筋を立てているその様子に
司馬懿は少々不憫だと思い、憐れみの眼差しを向けた。
何となく意味合いを理解してその視線を受け取ったは再び額に手を当てて、項垂れた。
曹丕は怒鳴られた事が理解出来ぬと言った表情で首を傾げてに告げる。

「何をそんなに怒っているのだ。抱擁など幼き頃から度々している事ではないか」
「時と場合とを考えて下さい!幼き頃からの仲とはいえ、執務中は少なくとも上官と部下なのですから!」

司馬懿はその二人のやり取りを聞いてそう言えばと思い出す。
二人の仲が対等の様に感じていて不思議だと思っていたが思い返せば
は曹操がその当時、曹丕と歳が近そうだと拾い、世話係として宛がった孤児だったと聞いた。
話を聞いた時は無茶な事をしたものだと思っていたが曹操の気紛れは良い方向に向かい、
は天下の奇才と称えられる女武将となり、曹丕の傍らでその才を輝かせている。
司馬懿から見てもの才は武勇、知勇共に素晴らしいものだと言えた。
ただ、誰も予想だにしなかったのは曹丕にとっての存在が大きくなり過ぎた事であろう。

(確かに見目も麗しい故に執着するのも解らぬ事もないが・・・少々、問題ありだろうな)

溜息を吐きながら仕える主とを再度見る司馬懿は頭痛を覚えた。
そんな司馬懿の考えなど知らず二人はまだ論争を続けていた。

「お前は有象無象とは違うのだから良いのだ」
「他に示しがつかないと言ってるのが解らないのでしょうか!?」
「解らんな。で、仲達。この件はお前に全てを任す」

最終的に曹丕が自分の意見を押し通すと司馬懿に命を下し、持っていた木簡を手渡した。

「はぁ・・・」
「解ったなら下がれ」
「・・・はい」

礼をして部屋を去ろうとする司馬懿にが若干救いを求める視線を投げ掛けてきたが、
司馬懿は自身では何も出来る事はないとその視線から逃れる様に足早にその場を後にした。

(一層の事、側室にでもしてしまえば良いものを・・・)

何故、そうせぬのかと司馬懿は疑問を抱きながら任せられた仕事へと向かうのだった。
そして、残された二人はというと不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが曹丕を無言で睨みつけており、
それを気にすること無く、仕事を片付ける曹丕と言った様に平行線を辿ったままであった。
しかし、その内、は顰めた眉を元に戻し、ついには溜息を吐き、曹丕に身体を預けた。

「どうして、貴方はそう変わらぬままなのですか?」
「何のことだ?」
「全てですよ。幼き頃は身分なんて関係なかったとしても今は充分理解出来ている筈です。
互いの立場、あるべき関係も全て。なのに貴方は一向に昔のまま接してくる。私には、理解が出来ません」

再度溜息を吐きながらそう告げるに手を止めて曹丕は口を開いた。

「私はお前の言う事の方が理解出来んがな」
「何処かです?」
「それこそ全てだ。立場に囚われる必要性などない。
私にとってという存在はお前だけだし、代わりなんて要らないし、居ない」

を力強く後ろから両腕で抱き締め直して囁く曹丕。
耳に掛かる吐息には切なげに顔を歪めた。

「私だって曹丕は貴方だけです。ですが、貴方は貴い御人なのです。私など足元に及ばない程に」
「そんな考えが不要だと言っているのだ」
「そうもいきません」
「いいと私が言っている。私にとってこの世で大切なのはお前だけなのだ」

力強くが否定すれば更に強く否定の意を紡ぐ曹丕。

「それでは、甄姫様が御可哀想です」
「甄は知っている。私が誰を特別だと思っているかも全てそれを承知であれはついてきたのだ」
「それでも!それでも、私は・・・」

どちらが折れぬ限り、決着のつかない事を二人は知り、口を噤む。
すると、曹丕が暫く間を置いて口を再度開いた。

「お前の考えも理解しているつもりだ。だが、私がお前を手放さぬ事は有り得ぬ」
「だから、それは・・・」
「出来ぬとお前は言うのだろう?ならば、お前が有無を言えぬ高みへと私は昇ろう。
父を超えて、全てを御して龍となろう。その時はお前にも覚悟を決めて貰うからな」

曹丕の余りに壮大な発言。
だが、それよりもはそれを紡いだ時の初恋を知った少年の如く頬を染めた曹丕を見て硬直させた。
その表情が曹丕の本気を物語っており、も釣られる様に思わず頬を染める。
のその表情にまた曹丕は満足げに微笑みを浮かべる。

「私は想い続ける事に関しては自信があるのだ。この数十年お前を想い続けてきたのだからな」


傲慢なまでに純粋な熱情。
(余計な事など考える余地のない程、私を想えばいい)
(迷いのない瞳と想いに射ぬかれた時点で私は逃げられないと感じた)