女を見初めるのは初めての事だった。
これまで興味のある事と言えば剣を振るう事のみ。
そんな俺を奮い立たせた女。
それはあまりにも美しく獰猛な獣のような女だった。






蒼き空に溶けたいと願う







夏の熊野。
その川縁で涼む女。
黒い髪が艶やかにさらさらと夏の風にそよぎ踊る。
まるで天女のようなその姿の女に一人の男が近づく。

「久しいな・・・応龍の神子」

男・・・知盛は淡々と女の背に言葉を投げかけた。
応龍の神子と呼ばれたは焦る事もなくただゆっくりと振り返る。

「ああ・・・知盛か。今日はいきなり襲ってこないんだな」
「なんだ。襲ってほしかったのか?」

意地の悪い笑みを浮かべてそう告げる知盛に「冗談」と告げてあしらう
こんなに穏やかな雰囲気を作り、話をしている二人を誰が戦場で争い合う敵だと思うだろう。
そう、二人は一度戦場に身を置けば敵同士の間柄なのだ。
その二人が仲がよいというのも変な話である。

「それにしても何も聞かぬのだな」
「ああ、熊野に来ているという事についてか?大体の理由は察せる。それと今更だがその神子呼びはやめろ」
「これはこれは。神子殿は名前で呼ばれる方がよかったか?」
「それをやめろと言っている。私は確かに神子だが元来神子と呼ばれる存在は白龍の神子だけだ」

彼女はそういうと立ち上がり川縁を跡にしようとする。
本来は敵同士なのだから当然だろう。
だが、知盛はそれに対して声を投げかけた。


「なんだ?」

歩みを止めては何事だと振り返る。
すると、知盛はへと歩みを進めてその顎を捉えて微笑む。

「お前は相変わらず美しいな。その綺麗な身の内に誰よりも獰猛な獣を飼っている」
「お前は回りくどい言い方が好きだな。まあ、どうでもいいが。私は貪欲だからな」

はそう言いながら笑みを浮かべる。
その笑みはどこか艶やかで美しくて。
そして、残酷だった。

「そう、その笑みだ。お前は本当に美しい。・・・折角だ。剣を抜け」
「唐突だな。だが、そういう気分じゃないと言っているだろう?」
「そんな事知ったことじゃないな」

知盛は楽しげにそう言うと鞘から素早く刀身を引き抜いた。
鋭く光る刃。
それをひらりと振るい、へ振り下した。
だが、はそれを軽やかにかわす。
けれど、それだけではなかった。
常人に見えたのはかわしたところのみだっただろう。
しかし、は今の一瞬で知盛が投げ捨てた鞘を拾い刀身を収めてしまったのだ。
知盛はそれに感嘆の声を上げた。

「ふっ。さすがだな」
「お褒めにあずかり光栄の至り。でも、本当に今日はやめてくれ。そういう気分じゃないんだ」
「・・・そのようだな。今日のお前と剣を交わしてもつまらぬだろう」
「そういう事だ」

はそう言うと空を見上げた。

「こんな日はいっその事このまま溶けてしまいたいとすら思うな」
「いきなり何を言うかと思えば・・・何をそんなに思いつめている?」
「別にたいした事じゃないさ」
「まあ、言いたくないならそれでいい。そこまで興味のある事でもない。お前が何を考えていようがその剣技さえ失われなければ構わぬさ」

その言葉には微笑を浮かべた。

「そうか。お前は本当にわかりやすい男だな」

知盛はそれに何の言葉も返さぬまま木陰に腰をかけた。
そして、を見上げる。
ただ、何も言わずに。
そんな知盛には急にこう告げた。

「なぁ。知盛」
「なんだ?」
「知盛は私の事を美しく獰猛な獣だと言ったが。私はそれはお前の事だと思うぞ?」

知盛は急なその発言を理解するまで数秒かかった。

「は?」
「だって、お前は真っ直ぐだ。迷う事を知らない。私は、迷い浅ましく幾多の事を願う。醜悪なものだよ」

本人は気づいていないのだろうか?
そう、知盛は思った。
あまりに切なげに悲しそうな表情をしていることに。
それは涙を流す方法すら忘れたかのように身の内に悲しみを溜めているように知盛には見えた。

「・・・・・」

見たことのないその表情に知盛は口を閉ざした。
だが、しばらくしてゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「おまえは・・・何をそんなに悲しむ?」
「・・・何も、悲しんではいないさ」

は何事もないと言った表情でそう告げるが知盛はそれが嘘だと見抜き矢継ぎ早に言葉を投げかける。

「嘘だな。お前は顔に出る」
「・・・それは参ったな」
「話せ」
「できない」

否定の言葉が飛ぶと知盛は眉根を寄せた。

はそんな知盛を見て困ったように笑った。

「・・・知盛。私は、愚かなんだよ」
・・・」
「・・・今のは忘れてくれ。ただの戯言だ」
「そのようには聞こえなかったが?」
「戯言だよ。泡沫の夢さ・・・そして、これも」

そう告げるとは知盛の頬に手を当てた。
そして、唇をそっと重ねる。
それはすぐさま離れたが間違いなく接吻だった。
知盛は目を見開き立ち尽くした。
ああ、本当にこの獣の考えている事は何なのだと思った。
その問いには答える事なく背を向ける。

「知盛。次に会うのは戦場だ。じゃあな」

ただ立ち尽くす知盛はその背を見つめ続けた。
ただ、獣の身の内に宿せし、心を知りたいと思いながら。

・・・お前は何を思っている?」

いつもそうだ。
は悲しみを帯びた剣を振るう。
いつもいつも。
俺はそれに惹かれた。
今は、全てに惹かれる。
身を焦がすような想いが身の内に宿ったからだろうか。
知盛はもう姿の見えないを追うかのようにその場を後にした。

「次に会うのは戦場か・・・その時にはお前の全てを手中にしたいな」

楽しげにそう笑うと空を見上げた。
が溶けたいと言った空を。