自分の心を、感情を制御出来ない。
私はゾルティック家の長女で長子。
家の為に、家族の為に生きて、死んでいくのだとこの世界に生まれた時に誓った。
それが、私が元の世界の母に出来なかった事だから。
なのに、今の私はなんて不完全で不確かな蝋燭の灯の様にゆらゆらと揺らぎ続けているのかしら。
私は目の前に開いた本の文字すら頭に入ってこない状態に溜息を吐き、立ち上がった。







ブザム・カレッサー 15







(私は、何かを恐れているのかしら?)

歩みと共に揺れる漆黒のドレスのリズムに合わせてそんな思考が過ぎる。
イルミとの一件以来、私を苛ます悩み。
心をぐちゃぐちゃに掻き回されている様な不快感。
それがどうしても離れない。

(何も考えずに頭を空っぽにしても、離れない・・・こんな事今までなかったのに・・・)

暗殺術に不安を覚えた事はあっても、意識のコントロールに関しては自信すらあった。
なのに、今はそれすらできない。
どうしようもない自分に嫌気が差して、苛立ちが増す。
だけど、結局の所どうしようもなく、溜息を吐いては一日が過ぎていく。
イルミ達の前では悟られない様に振舞っているがあの子達も勘が鋭いから何時まで騙し続けられるか微妙だ。

(本当にどうしたのかしら・・・私)

再び溜息を吐くと薔薇園へと出た。
気分転換にと思って出たのはいいが世話をする気にはなれず、薔薇園の中心へと向かう。
中心に置かれたベンチに座ると深呼吸を一つして空を見上げた。
憎らしい程の青が視界に広がり、思わずまた溜息。
どうにも癖になりそうだと自分を嗜めつつ、静かに瞳を閉じた。
薔薇の香りと小鳥の囀りに耳を傾けて心を空っぽにしていく。
暫くそうしているとふわりと薔薇の香りとは違う香りが漂ってきて弾かれる様に私は瞳を開けた。

「おや、気付かれちゃった」

道化師の様な姿で残念そうに告げた香りの主はヒソカだった。
私は見知った顔にほっとすると微笑みを向けてヒソカをベンチの空いた隣へと招いた。

「ヒソカ・・・久しぶりね。屋敷にやってくるのは」
「まあ、イルミが来るなって煩かったしね」

ヒソカの言葉に苦笑を浮かべながら首を傾げる。

「じゃあ、今日はどうして?」
「んーに会いに来たと言いたい所なんだけど、イルミに用事」
「イルミなら今、仕事よ?」
「そうなのかい?」
「ええ、もう少ししたら帰ってくるとは思うけれど・・・」

私がそう告げるとヒソカは少し間を開けて再び笑顔を浮かべて告げた。

「そう。なら、もう少しに相手をしてもらおうかな?」
「ふふ、私でよければ構わないわよ」
「それは光栄だね。なら、一つ聞いてもいい?」
「何かしら?」
「どうして、さっきからそんなに落ち込んでるんだい?」
「え・・・?そ、そんな風に見える?」

驚きながらも平静を装って訊ね返す。
そんなに私は判り易い程に落ち込んで見えたのだろうかと不安に思うとヒソカは予想外に切り返してきた。

「いや。でも、何となくそんな気がしてカマをかけたんだけどどうやら当たりみたいだね」
「・・・参ったわね」
「で、どうしたのさ?」
「うん。少し、ね。自分を律する事が出来ないというか、私にもよく判っていないのよ」

苦笑混じりの自嘲を浮かべて困った様にそう告げるとヒソカは即座に私に言った。

「自分を律するね。そんな事必要あるのかい?」
「え?」
「気ままに居れば良いと思うけどね。僕は。だって、誰もにそんな事を求めていないと思うし」
「誰も、求めてない・・・?」
「んー・・・そのままのの方が素敵だって事だよ。
きっとは色々考えすぎてぐちゃぐちゃになってるだけだろう?」

予想もしなかったヒソカの言葉だったが今の自分を的確に見抜いているだけに反論は浮かばない。
正論と言っていい程の良いアドバイスだと言っても過言ではなかった。
正直、ヒソカは中身も道化師の様な軽い男だと思っていたがどうやら違っていたらしい。
進む方向が単に人とは違うだけで私よりもよっぽど筋の通った人間なのだろう。
私は暫し思案すると改めてヒソカに向き直った。

「・・・ありがとう。ヒソカの言う通りだわ。私、ありのままでいるべきなのよね」
「そうであるべきとは言わないけど、その方が楽だとは思うよ。
少なくともさっきみたいに悲しげな表情を浮かべる事は無くなると思うけど」
「うん。私も、そう思う。直ぐには出来ないかもしれないけれど、少しずつ変わっていきたい」

そう思うと不思議と心が軽くなっていくのを感じた。
私は逃げていたのだと思うのだ。
死への恐怖から逃げる為に自分を捨てた遠い過去からずっと逃げ続けていた。
だから、私は不確かだったのだ。

「ふふ、なんだか、理由が判った途端、落ち着いてきたわ。
私、きっと不安だったからあんな風にイルミに対して思っちゃったのね」

心の内をそのまま述べるとヒソカが首を傾げた。

「イルミ?イルミがどうかしたのかい?」
「大した事じゃないんだけど、何だかイルミが・・・」
「姉さん」

ヒソカの問いに答えようと笑みを浮かべて口を開いた瞬間、木々が擦れる音と共に地面を叩く音が響き渡った。
そして、噂の渦中の人物が相変わらずの無表情で現れたのだ。
しかし、無表情といえど纏う空気は穏やかとは言い難いものだった。
思わず私は普段とは違うイルミの様子にびくりと肩を揺らして立ち上がった。

「お、お帰りなさい。イルミ。えっと、どうしたの・・・?そんなに怒って・・・」
「ただいま。姉さん。別に姉さんには怒ってないよ」

イルミはそう言いながら私の元までやってくるとそのまま強く腕の中へと閉じ込めてしまう。
壊れそうな程強いその腕の力とヒソカを睨む眼光の鋭さに一種の恐怖を抱き、微かに震える。
だが、イルミはそれに気付く事無く、ヒソカに殺気を向けていた。

「んーそうなると僕に怒ってるのかな?」
「聞かなくても判ると思うけど?大体、俺は家には来るなって言ったよね?」
「言ったね。用事がない時以外は来るなってね。今日は用事があったから仕方ないじゃないか」
「だけど、姉さんに近付くなとも言った筈だけど?」
「それは君が決める事じゃなくて、が決める事だろう?と僕は友人なんだからさ」

にっこりとヒソカはそう言い切るとイルミが針を数本投げた。
それは的確に急所へと軌道を描いており、私は思わずヒソカの名を叫んだ。
ヒソカは顔色一つ変えずにすんなり避けると私に、大丈夫だよ、と安心させる様に微笑んで見せた。
イルミの腕の中で大人しくしていた私だったが一連のイルミの行動に
流石に動かずには居られなくなり、針を再び構えるイルミの腕を制止させるように両手で掴んだ。
ぴくりっと驚き揺れるイルミは静かに私へと視線を向けた。

「イルミ!ヒソカは何もしてないでしょ?どうして、そんな事を・・・」
「姉さん・・・これは姉さんの為だよ?」
「私は、私はそんな事一度たりとも望んだ事はないわ。だから、もう、止めて頂戴!」
「やめない」
「イルミ!」

異常なイルミの態度に諌める様に名を呼ぶが効果は無く、一触即発の空気にヒソカが溜息を吐いた。

「これ以上居ると本気で殺られかねないね。、僕の事は気にしないでいいから」
「でも、こんなのって・・・」
「いいから、ね?また、連絡するよ」

それだけを告げるとヒソカはその場から掻き消える様に姿を消した。
私はそこで漸く力が抜けてほっと息を吐き、ベンチへと座りこむと困惑した表情のままイルミを見た。

「・・・イルミ、どうしてこんな事を・・・やっぱり、貴方最近、おかしいわよ?」
「何が・・・?」

殺気は無くなったが何処か苛立ちを含んだ返答に思わず怯む。

「何がって・・・イルミ、貴方の態度の事を・・・」
「別に、これが俺だよ。姉さん」

私を見下ろしてそう言い切るとイルミはそのまま私の両手首を掴んでベンチへと押し倒される。
唐突に回った視界に驚くのも束の間、強く握られた手首が悲鳴を上げる様に軋み、顔を顰める。
何が起こっているのか解らず真っ白になる思考の中、イルミが私の唇を奪い去った。
音が消えて、時が止まった様なその一瞬も束の間、
私は驚いてイルミを跳ね除けようとするが予想以上の力がそうはさせてくれない。

「イルっ・・・いやぁっ!!」
「俺は、ずっとこうしたかった。姉さんが、が好きで仕方が無くて・・・」

そう言いながら首筋を舐められて、口付けられ、紅の印が刻まれて、私は震えた。
今、目の前にいる人物は一体誰なんだと。
紛れも無い実弟のイルミである事は長年、共に居て判っている。
だけど、こんなイルミを私は知らない。
知る由もない。
だって、これは姉弟の一線を超えている。
禁じられた・・・赦される筈のない事だ。
私はイルミに向かって必死に懇願する。

「止めて、御願い・・・私達は血が、繋がってるの!姉弟なのにっ!」
「俺は、ずっと姉さんを姉として見てなんてなかったよ」
「イル、ミ・・・?」

呆気なく何かが崩れていく音が脳内で響いて涙が零れ落ちた。
裏切られた様なそんな錯覚と喪失感が襲い、私は言葉を失くしていく。

「俺はずっとを愛してた。一人の女として」
「どうして・・・」
「理由なんて判らない。ただ、俺がたった一つ執着したのは姉さんだけだった。強いて言うならそれが理由だよ」

首筋に顔を埋めていたイルミが顔を上げてそう告げた。
事も無さげに告げられたその言葉は私に刃となって突き刺さる。

「だからって、こんなの間違ってるわ!」
「俺達に常識なんて要らないでしょう?だって、ゾルティックなんだからさ」
「そんなの違う・・・それに、私は貴方を弟以上に見た事なんて・・・」

そう呟いた途端、イルミが静かに呟いた。

「もう、そんな事どうだっていい」
「どうだっていいって・・・」
「俺を選んでくれないなら、俺は力づくでも手に入れるって決めたから」
「何を、言ってるの・・・?イルミ・・・っっ!」

私の追求を遮る様に首筋に咬みつかれて息を呑む。
じわりと首筋から血が滲み、伝っていく感触を感じると同時に私の知らない所で育ったイルミの狂気を感じた。
これは、罰だというのだろうか。
私が、イルミの苦しみや悲しみに気付いて上げられなかった罰だとでも神は言うのだろうか。
そう思うと力が抜けて、ただ、苦しく、涙が次々と流れていく。
考えれば思い当たる節が沢山あるのに私は気にも留めなかった。
ただ、少々幼い弟の我が儘だと、異常さに気付きなからきっと、流していた。
ちゃんと、私はイルミと向き合ってあげていればきっとこんな事にはならなかったんじゃないだろうか?
私は翻弄されながらそう思い至ると抵抗する事も止めて、空虚な心で呟いた。

「イルミ・・・ごめんなさい・・・」

呟いたその一言にイルミの体がぴくりと揺れ動いて顔を上げて私を見た。
私が一体どんな顔をしていたのか判らないがイルミは驚き、目を見開いて動きを止めていた。
互いに乱れた衣服が風に揺らされてただ、静かな時間が流れていく。
私の瞳は開かれながらもイルミを見る事は無く、
ただ、譫言の様に繰り返される私の謝罪の言葉が空へと幾度も悲しげに消えていった。