漆黒ドレスが舞い踊る。
悪魔の様に、死神の様に全ての苦痛と悲痛と絶望を植えつけて、
美しい相貌は酷く愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべている。
人々は泣き叫び、大の大人ですら幼子の様に頭を地に伏す。
しかし、阿鼻叫喚の中、誰一人その魔の手からは逃れる事が出来なかった。
まさに地獄の様相を模した空間に最後は指先の鮮血を舐め取る魔女の姿だけがあった。







ブザム・カレッサー 18







「何だ・・・?これは・・・」

暗殺を生業にするものからある物を盗む仕事を請け負って、屋敷に侵入した矢先だった。
異常なまでの血生臭さに顔を歪める。
理由は明白で臭っているのは目の前にばら撒かれた恐らく人だったものの肉片や残骸だ。
共に潜入してきたマチやシャルも怪訝そうに辺りを見渡す。

「団長。ここってあのゾルティックと並ぶ暗殺一家だって話じゃなかったの?」

マチの疑問は最もだ。
少々苦戦も強いられるかと思っていたがこの様子を見ると殆ど―もしくは全ての一族が葬られて居そうだ。
それも残酷なまでに凄惨な目に合わされたのであろう。
顔の残っている死体は全て苦痛と絶望に染まっていた。
一体、誰がやったのかは分からないが下手にその相手と会うと厄介な事になりそうだと小さく嘆息する。

「その筈だったがそれよりも厄介な者がやったんだろう。複数か単身かは分からないが遭遇するのだけは面倒だろうな」
「確かに。これはちょっと尋常じゃないよねー私怨かな?」

シャルが残骸を突っついて、そう言うと俺も頷いた。
まあ、暗殺を生業にする者達だ。
恨みは方々から買っていただろうが一体ここまでされるとはどんな人物に恨みを買ったのか少し興味がそそられる。
だが、この場合は好奇心に殺されそうだから止めておこうと目的を思い出して、動き出す。

「どちらにせよ。俺達は俺達の仕事をする。いくぞ」

二人もそれに同意し、歩き出そうとした時だった。
割と近くから屋敷を揺るがす程の断末魔が聞こえた。

「・・・これは、遭遇してしまいそうだな」
「だね。其の場合はどうする?団長?」

平常心のまま問いかけてくるシャル、視線で訴えてくるマチを見て俺は答える。

「向こうの出方次第だが場合によっては殺せ」

殺される前にという含みを持たせて告げると言っている傍から二、三先の扉から誰かが出てくる。
こちらの気配に気付いたのか物凄い殺気が俺達に襲い掛かる。
空気が微かに振動し、床に叩きつけられそうな程の圧力と死へと誘う闇を感じる。
普通の人間が浴びればそれだけで発狂してしまいそうだ。
ごくりと思わず喉が上下に揺れる。
身構え何時でも応戦出来るように構えると血が滴る音と何かがべちゃりと床に落ちる音が響く。
そして、それは一瞬だった。
瞬きよりも早く隣に何か得体の知れないものが現れた様な錯覚。
いや、実際に俺の隣に佇んだそれに慌てて視線を向けようとする。
両側の二人も漸く反応して、攻撃しようとしたその瞬間、気付けば体が三人とも地面に叩きつけられる。
上から何かが押さえ込んで来ている様な気がして凝して見て見ると巨大な黒い手のような影が俺達を押さえ込んでいた。
念能力かと冷静に判断していると不意に何かに気付いた様にその手が消え、殺気が嘘のように無くなる。
急に解放された俺達は反射的に後ろに下がった。
だが、先ほどの人物は再度攻撃する様子は無いようで佇んだまま俺達へと声を発した。

「こんな所で逢うなんて思いもしなかったわ。久しぶりね。クロロ、マチ、シャル」

その声に俺は体制を緩めた。
にわかには信じる事が出来なかったがその声の主を俺は、一人しか知らなかった。
でも、その人物はこんなにも妖しい狂気など宿しておらず、陽だまりのような女性の筈だった。
それは両サイドにいる二人も同じようで戸惑いを隠し切れないように俺を見る。
三人が三人とも感じ取った違和感を抱えたまま近づいてくる彼女を見た。

・・・なのか・・・?」

薄暗い廊下の先から現れたのはやはり見間違う事もない・ゾルティックの姿だった。
その白磁の肌とドレスのあちらこちらに鮮血が飛び散り、鉄錆臭い。
今まで彼女が殺しでこのように血に汚れたことは無かった筈なのにどうしてこんなにも血に塗れているのか。
そして、この凄惨な状況の中を満足げに何故微笑んでいるのか。
まるで、この惨状は全て彼女がやったとでも言いたげに。

「嫌だわ。暫く逢わなかったから忘れてしまったの?」

話す口調も声色も普段どおりだというのに俺は不安が拭い切れない。

「忘れてなどいないさ。ただ、これはお前がやったのか?

押し黙っている二人も同じ疑問を持っていたのだろう食い入るようにを見つめて答えを待つ。
はきょとんとした後、無邪気に楽しげに唇の端を吊り上げた。

「ええ、そうよ?皆、私が絶望と苦痛に染めてあげたの」
「・・・仕事、ではないな?」
「そうだけど、どうしたの?クロロ、何だか様子が変よ?」

煮え切れない俺の様子にはっきりと顔が見える位置まで来たは立ち止まり、首を傾げる。
俺は落ち着いて彼女に近づいた。
そして、その両肩を掴み、尋ねる。

「それは、お前だ!!何があった?何で、こんな・・・」

尋常じゃない。
俺の知っているは穏やかに優しく無邪気に笑って、陽だまりのように人々を優しく包むようなそんな女性だ。
でも、今の彼女はそんな様子を微塵も見せず、狂気に揺られて笑っていた。

「ふふっ、クロロは心配しすぎよ。ちょっと、全部壊しただけじゃない」

大した事じゃないと軽い口調でそう言われて戦慄する。
思ったよりも重症だと汲み取れる台詞にマチとシャルも同じ様子であった。
そんな俺達の心などまるで気付かぬ様子のはふとその顔から笑みを消して、感情の無い顔で呟く。

「・・・まさか、クロロ達は私の事を邪魔するの?」

抑揚のない声が響き渡り、何故か物凄く喉が渇く感覚に襲われる。
否、本能が警告しているのだ、ここから逃げろと。

「誰だろうと邪魔はさせない。邪魔をするなら、私は誰であろうと殺すわ」

殺すといった瞬間、鮮やかな笑みが綻ぶ。
まるで、この血塗れた光景など幻覚ではないかと思う程の可憐な笑みだった。
しかし、それを否定するかの如く、彼女の前に念書が浮かぶ。
そして、俺達の答えも聞かぬまま、戦いの始まりを合図する様に念書のページが舞い出した。
言葉が通じる状態ではないと判断した俺達はすぐさま臨戦態勢を取り、攻撃に備える。

「茨姫」

声に呼応する様にページが光り、一枚のページが弾けるように消えると轟音が響き渡る。
そして、一際大きな音がすると床から数多もの茨が貫き出でる。
茨は迷う事無く、俺達に向かって物凄いスピードで襲いかかってくるがいち早く、マチがその茨を念糸で切り刻む。
しかし、茨はまた再生し、俺達を襲う根本を絶たなければキリがないと考えた俺はシャルとマチに目配せすると本体であるへと距離を一気に縮めた。

「クロロはそう来ると思ったわ」
「!?」

距離を縮めて茨の向こう側にいるに詰め寄ったが彼女は愉快に顔を歪めると何時の間にか手に持っていたナイフを一閃。
反応が一瞬遅れた俺は、が持っていたナイフに肩を掠める。
掠めたナイフは浅い傷を作り、鮮血にその白銀の刀身を汚すと今度は眼球向かってナイフが煌く。
顔を背けて、僅かに刃先を紙一重で遁れると自身もナイフで応戦する。
互いに避けてはナイフを向けて、相手を刺そうと舞い踊る。
血塗られた舞踏は、永遠に続くかと思われた。

「・・・ふふっ」

その静寂を破ったのは、の妖艶な笑みだった。
声に気を取られていると背後からシャルが声を張り上げた。

「団長!!後ろ!!」

声に反応して振り返るが既に遅かった。
一本の茨が先程、斬られた肩を物凄い早さで鞭打つ様に叩きつけた。
その瞬間、その肩先から焼ける様な壮絶な痛みが発せられる。

「っっつ!!!?」

驚きに後方へと飛び退くと肩を押さえたまま膝を折った。

「団長!?」

茨に鞭打たれた瞬間からの激痛に一体何が起こったのだと思案していると彼女は楽しげに告げた。

「凄く、痛いでしょう?茨姫は別に攻撃するだけのものじゃないの。
これの元来の能力は、痛みの増幅。使用者の望むままに痛覚を変えてしまうのよ」

そう告げると他の茨を全て消したが右手に出現させたのは白い薔薇が飾られた茨の鞭だった。
空いている手でその鞭を撫でるとそっとその鞭に口付ける

「私はこの鞭でここの人間を全て葬ってあげたのよ。
でも、命を奪われても仕方が無いわよね。私から大切なものを奪おうとしたのだから」
「どういう事だ・・・?」
「それを知ってどうするの?」

問いかけた問いの答えを答えずに拒絶を示す
だけど、俺は諦めたくはなかった。
以前の彼女を知っていて、俺の心には確かに彼女に対する想いがあった。
そして、今の彼女は悲しみや憎しみに囚われて我を忘れて、自分を傷つけているようにしか見えなかったのだ。

「そうだな・・・俺に出来る事をする。ただ、それだけだ。」
「何が出来るというの?何も、何も知らない貴方が私に何ができるというの?それは驕りだわ」

憎悪を込めて吐き捨てる様に告げられた言葉は微かに胸に痛みを奔らせる。
だけど、それで引き下がる俺でもない。
だって知らないのだ。
俺の中にある激情も情念も何も知らない。
欲を言えば俺だけのものになって欲しいとすら思っているがそれ以上に俺はただ、には笑顔で居て欲しいのだ。
だから、今の彼女を絶対に放っておけなかった。

「そうだな。俺に出来る事なんて限られているし、お前が考えている事も何一つ今は分からない。
だけど、今のお前の姿は迷子になった幼い子供みたいだ。なぁ、。お前は本当にこんな事がしたかっただけなのか?」

その言葉にの瞳が少し揺れた。

「私が、したい事・・・?」
「そうだ。お前が本当にしたかった事は何なんだ・・・?」

念を押すようにもう一度聞くとからゆっくりと殺気が消えていく。

「私は・・・生きなければならない。家族の為に生きなきゃ駄目なの」

まるで自分に言い聞かせる様には呟く。

「その為には私欲は捨てなければいけない。だって、邪魔だもの。
徹して生きなければそれに足を掬われる。私は大好きな家族を守りたいからそれだけは捨てなきゃいけない」

微かに震える彼女の手から鞭が滑り落ちて、消える。
いつしか念書も姿を消し、辺りは静寂に満ちていた。

「でも、私も人、なの。気付かぬ振りをして、気持ちに蓋をしても欲望は消え去らない」

そこまで言うと漸くはその顔を上げた。
瞳に涙を浮かべて、いつもよりも少し幼げに微笑を浮かべる彼女。
俺はに手を伸ばそうとしたがそれはやんわりと彼女の手に制される。

・・・」
「クロロ、こんな事をした私を貴方は尋常じゃないと言ったわよね?でも、これも私よ。ずっと内に秘めていたもう一人の私」

自嘲的な声色で紡ぐは涙を拭い、続けた。

「生きる事を諦めていた頃から私はずっと自分を偽っていた。これまでもずっと何も望まない私で居た。
けど、もう居れないの。狂ってしまった、歪んでしまった蓋をずっと閉じてはいられない。漏れ出してしまったものは元には戻らない」

自分を掻き抱く彼女を目の前にして何も動けない。
それほどまでに悲痛なこれは叫びだった。

「嗚呼、愚かな女でいたかった。気付かぬままでいたかった。どうすればよかったのかしら・・・」

いつしか近く戻ってきていたマチやシャルもそれに聞き入っている。
かつて彼らもこんな彼女を想像出来ただろうか。
きっと、誰も知らなかった。
例え、彼女が愛している家族ですら知らなかったはずだろう。
彼女はずっと完璧に演じていたのだから何も望まぬただ美しい人形を、彼女が言う"愚かな女"を。

「・・・ごめんなさい。感情が昂ぶっていたとはいえ、巻き込んでしまって。ちょっと泣いたら落ち着いたわ」

急にいつもの彼女に戻り、俺は何故か酷い焦燥感に襲われる。
だって、いつもの彼女なのだ。
今まで彼女が偽り続けてきた完璧な演じられただ。
それを決定打にするように彼女は念書を開ける。
ぺージが風に舞って辺り一面に広がる。

!!待て!!お前は・・・っ!」
「・・・まだ、心配してくれるのね。優しいクロロ」

首を少し傾げて、物悲しくも優しく綺麗に目を細め、微笑を浮かべる。
次第に舞い散るページが彼女を埋め尽くすように周囲を舞う。
突風が俺達に向かって吹き荒び、思わず腕で風を防ごうとする。
腕の合間から彼女を窺うが光と風とページでなに一つ見えない。

「私、旅団の皆と仲よくなれて良かったと思ってるのよ。また、機会があれば逢いましょう」

それは永遠の別れともとれる言葉で俺はもがく様に腕を伸ばすが全てが止んだ時、そこにはもう彼女はいなかった。
残されていたのは、闇と月光と鉄錆の香りだけだった。