仕事から戻ると数多の血が入り混じった匂いを嗅ぎ取った。
それが何かを考える前に妙な胸騒ぎに襲われた俺は気付けば走り出していた。
匂いがする方向に向かっていると次第にその道が姉さんの薔薇園に繋がっている事に気付き、焦燥感は増した。
まさか、姉さんに何かあったでは、と一抹の不安が過ぎる。
姉さんの実力を知らないわけじゃないし、普段ならばここまで焦る事はなかったかもしれない。
しかし、今まで心も共に近しい距離で過ごしていた俺達が離れた事でどんな変化があるかなんて知る由もない。
生まれて初めての空白の時間が余裕を全て打ち消していたのだと思う。
だから、姉さんの無事を確認した時、俺は留まる事が出来ず焦がれる様に触れた。
久方ぶりに触れた温もりはこの上ない至福をもたらした。
そして、改めて確信したのは俺はたぶんこの姉さんへと募る想いを捨てる事は出来ないのだと言う事実。
どんな事があろうともこの心深くに根付いた感情を消し去る事など有り得いという確信が胸を貫いた。
例え拒絶されても、という考えが脳裏を掠めた瞬間、背に感じる感触に肩を揺らす。
俺は、幻覚でも見ているのか、感じているのかと疑う位、夢のような一瞬だった。






ブザム・カレッサー 20








・・・姉さん・・・?」

柄にもなく、動揺しながら腕の中の人を呼ぶ。
何を考えているのか皆目見当がつかないというのは意外に怖いものだなと何処か冷静に思いながら。
姉さんは、暫く応えずにただ、俺にしがみつく様に抱きついていた。
それはとても嬉しい事なのだが、今はこの過ぎる疑問の答えを知りたいと姉さんの反応を待つ。
大した時間ではないがその時間は永遠に続くのではないかと思うほど、長く感じた。
漸く姉さんが俺の背に回っていた腕をゆっくりと解き、意を決したように顔を上げた。
思わず瞳を丸くして、魅入る。
そこにあったのは、これまで俺が見た事のない姉さんの表情。
潤む瞳は心細さと不安が入り混じりつつも何かを欲っする様に、唇は誘うように赤々と艶やかに光る。
それはどう見ても"姉"としての顔ではなく、"女"としての彼女の顔だった。

「イルミ・・・」

あどけなくも妖艶な声色が聴覚を侵し、俺を惑わせる。
心臓が酷く高鳴り、煩い。
ただ、名前を呼ばれただけで他意はない筈だと言い聞かせて、冷静を必死で装う。

「・・・どうしたの?姉さん」

何事もなく、以前の俺のように振舞ってみるがどうにも落ち着かない。
そんな俺の心情を察してか風が勢いよく吹き、静寂を破る様に木々が一斉に啼く。
姉さんは迷いを見せて、唇を開こうとしては、閉じてを繰り返す。
しかし、もう一度深く深呼吸をすると小さな声で呟いた。

「・・・私は、愚かだわ」

確かそう告げられると姉さんは続けて言葉を放った。

「ずっと、本当は気付いていたの。あの夜よりももっと前から私はイルミの気持ちに気付いていたわ」

意外な告白に驚きつつも、あの夜、と言われて、胸に痛みが走る。
俺の後悔が詰まったあの夜の姉さんの涙が脳裏に過ぎったのだ。
それに気付いているのかいないのか姉さんはそっと俺の頬にその細く長い指先を這わせる。
労わるように撫ぜる指が時折、俺の髪を絡め取るように触れる。

「でも、私は気付きながらも応えなかった。それは血が繋がっているとか倫理的な事が理由じゃない。
私は現状を維持したかったの。誰も傷つかない今をただ、永遠に続けようとした。だって、それは一番楽な逃げ道だったから」

姉さんは一つ一つを紐解くように続ける。

「愚かだったとしか言いようがないわよね。自分の事ばかりで私は貴方が傷つくことまで考えてはいなかったのだから」
姉さん、それは・・・」

自分を責める姉さんの言葉を遮ろうとするがそれは静かに制される。

「最後まで、聞いてほしいの。・・・イルミ、私は身勝手で愚かなの。
今更だと思われても仕方ないけれど、私は貴方をもう弟として見れていないのよ。とっくの昔に・・・」

苦しげに呟かれた言葉に目を見開く。
それは、まるで・・・まるで自分を異性として見ていると告げているではないか。
これは俺に都合のいい夢なのだと言われたほうがまだ信じられるほどの衝撃だ。
だけど、姉さんはこれは現実なのだと訴えるように続ける。

「貴方に婚約者が出来るって聞いた瞬間、私は頭が真っ白になった。
貴方を奪われる・・・・それがどんなに恐ろしいと。そして、私はたった今、貴方の婚約者の一族を全て殺してきたわ」

更なる衝撃的な言葉が続き、俺は未だ嘗て無い混乱に陥った。
否、混乱はしているがそうではない。
それだけではない感情が確かに胸にあった。
姉さんが俺の為に人を殺したのだ。
私欲では絶対に人を殺さない姉さんが俺という理由を持って、数多の命を奪った。
俺の為に、俺を奪われない為に殺しをしたのだ。
これを、喜ばずに何を喜べというのだろう。

「ただ、貴方を奪われたくなかった。貴方が傍に居なくなるぐらいなら全てを壊してでも私は・・・」
姉さん」
「どうしようもなく、狂いそうなほど貴方が、貴方が・・・」
「もう、いいよ。もう、わかったから・・・姉さん・・・」

何も言わなくてもいい。
姉さんが言いたい事も何もかも俺と同じだと分かったならもう言葉は必要なかった。
俺は頬にある姉さんの手を取り、その掌に口付けを落とす。
この手が俺への想いで血に濡れたのかと触れる唇で確かめる。
そして、俺は姉さんの瞳を見つめ返すと互いに吸い寄せられるように唇を重ねた。
ただ、触れて温もりを感じるだけの口づけは何処か神聖な誓いにも似ていた。
離れて、額を合わせたまま瞳を開け、握った手の指の間に己の指を絡ませる。

「俺は、今も、これからも姉さんだけが欲しい。言葉なんかじゃ言い表しきれないほど、俺はを愛している」

今も、昔も俺は気付けばこの人を追ってきた。
ただ、愛して欲しいのはこの人だけだった。
何がとか、何故とかそんな人並みな理由などではなく、気付けばそこにこの熱情はあったのだ。
互いの身も燃やし滅ぼし兼ねないほどの激情は劇薬にも似た感情だ。

「愛してる・・・今なら、まだ間に合う、拒むなら今拒んで。
きっと俺はもう姉さんが泣いたとしても、苦しんだとしても離さなくなる」
「いい・・・これで、いいの。好き、好きよ。イルミ・・・」

絡めた指が互いに逃がさないと言うように強く握り合う。
熱に浮かされた様に呟かれた恋情に俺は満たされて、酔わされて、浮かされていく。
俺は、全てを呑み込むように再び唇を重ねた。
先程でとは打って変わって、楔を打ち込むように熱い口付けを。