主席総長就任より早三年が経った。
計画が大きくこの時期に差し掛かり動く事もあり、
は常に疲労を感じる日々が続き始めていた。
そして、ある日、イオンの私室を尋ねると返事はなく、異様な空気と血の匂いが漂っていた。
慌てて扉を開き、入るとそこには血塗れで立つイオンの姿があった。
「イオン・・・」
呟かれた声に彼は気付き、ゆっくりと振り返り自虐めいた笑みを浮かべていた。
Desire 07
「か・・・」
ただ、それだけ呟かれたは一時立ち尽くすが扉に鍵を掛けてすぐにイオンに近付いた。
近付いてみればそれが彼の血で無い事はすぐに解った。
イオンの血は何かの返り血でその何かはが知る限り一つであった。
「レプリカを殺したのか・・・」
一体目のレプリカを殺めた事により初めて人を殺めたイオン。
はただ、そんな彼に近付くとそっと優しく抱き締めた。
イオンは真綿に包まれる様な柔らかく優しいその温もりに思わず穏やかな笑みを浮かべる。
心中ではドロリとした感情などが混じり合いぐちゃぐちゃだったが
自然とその温もりが穏やかな心地にさせたのだ。
「あんたにも血が付く」
状況を感じさせない言葉に逆にが悲痛な面持ちで反論する。
「そんな事を気にするな。お前は全く持って天邪鬼なのだから。
辛いのなら辛いと言え、悲しいのなら悲しいと言え、苦しいのなら苦しいと言え」
「・・・それを僕は言えない。結局、僕もに一番辛い事ばかりさせているのだから」
イオンのその言葉はが初めて聞く労わりの言葉だった。
紡いだ本人もそこで漸く自分の言葉の意味と
自分の中でがどれ程大きい存在になっていたのか気付いたようだった。
静かに瞳を伏せて抱き寄せてきたの背に腕を回す。
「そうか。僕はを本当に何時からか大切な存在だと思う様になったのか・・・」
「イオン・・・」
今まで巡ったどの運命にもない彼の言葉には目を見開く。
イオンはそんなに気付く事無く、言葉を続けた。
「出逢った当初はただ、面白いだとかもし預言が覆せれば幸運だなとかそれ位にしか信じてなかったんだ。
一種のゲームだとしかね。だけど、何時からかこれは絶対になる未来なのだと妙な確信を抱き始めた」
無言でその言葉を受け止めるは小さく頷いた。
「物的証拠なんて何にもないのに魂が叫ぶように真実だと告げる。
それから僕はの計画を本気で手伝おうと思えるようになったんだ」
イオンの言葉には静かに目を開いたまま一滴涙を流す。
抱き合っている為、イオンは気付いていないがはただ無意識に涙を流していた。
幾度も巡る時の中の記憶がの様に完全でなくても残っていたのだと思えたからだ。
それは決して今までしてきた事が無駄ではなかったという証の様で。
の中にじわりとその事実が染み渡っていった。
「きっと僕はアリエッタとは違う愛情をに持ったのだと思う。
何かは僕にも解らないけれど確かにその想いは存在してる。だから、僕は全てをに吐き出す事なんて出来ない」
決意にも似たその言葉にの涙は止まる事なく溢れ出す。
自身のエゴの為に巡っている何度目かの世界でこんな言葉を告げられるなど思いもしなかった。
それにそんな言葉を与えられる価値など自分にはないのだと思う想い。
様々な感情が入り混じりながらもそれでも嬉しいと思ってしまう。
だから、は口にした。
「そんな事はない。私はその言葉だけで充分有り余る程の幸せを貰っているのだ。
イオン、だから、私にはお前の心の闇を話してくれて構わないんだ。私にとってお前も大切な者の一人なのだから」
「僕の言葉だけで幸せになれるだなんて現金だね。だけど、僕もその気持ちが理解出来る。
僕たちはきっと似ているのかもしれない。だって、僕もの言葉で幸せになるのだから」
イオンはそう言うと静かに身体を離した。
互いに向き合った顔は涙で濡れており、嗚呼、本当に似ているのだと笑った。
そして、イオンは改めて静かに語った。
「許せなかったんだよ。いつか自分と変わらない存在がアリエッタに守られる事を。
それを想像しただけで怒りに心が染まった。気付いたらこの手で自分と変わらぬそれを殺していた」
「そう、か」
すっかり涙が消えたは静かに頷いた。
自分のレプリカが出来た事がない為、自分がもう一人いる気持ちは全て理解出来る訳ではない。
だけど、彼の苦しみだけはひしひしと伝わってきていた。
「だけど、僕はもう殺さない」
何も言えずに黙っているとイオンは力強くそう告げた。
意志の強い声で告げられた言葉には静かに問うた。
「どうして殺さないんだ?」
「殺してしまえばその存在を全く僕と同じものだと認めてしまったって事だから。だから、僕は殺さない」
殺してしまえば自分でその存在を認めてしまう様なものだと言うイオンには深く思案する。
心意気は勿論だがそれでは結局、彼もレプリカを憎むだけとなってしまう。
それだけはは避けたかった。
だから、は一つの提案を投げ掛けた。
「ならば、レプリカという存在をイオンの兄弟だと思ってくれないか?」
「兄弟?また、突拍子もない事を言うね」
「そう思うだろうが私はレプリカを一個人として認めて欲しいと言う思っているのだ」
「・・・何故?」
静かに問うイオンの声には少し考える。
だが、心を決めると静かに顔を上げた。
「・・・そうだな。私もまだ話していない事をイオンにだけ伝えよう。
計画の起因ともなっている事だし、イオンには知る権利がある。聞いてくれるか?」
断る理由もないイオンは静かに頷いて紡がれたの話に聞き入った。
そして、最後まで聞き終えるとイオンはあまりに自分の考えを超えたという存在に驚愕する。
しかし、だからと言ってを大切に想う気持ちが変わった訳ではなかった。
彼女の苦しみを理解したからこそ逆に想いが強まったと言っても過言ではなかった。
(僕の悲しみや辛さなんてやっぱり彼女の比じゃない。は僕よりも地獄を見てきていたなんて。)
掛けるべき言葉が中々見つからず口を噤んだイオンだったが言葉を選ぶようにを傷つけぬ様に言った。
「の気持ちを全て理解出来る訳じゃない。だけど、僕はの想いを理解した。
いいよ。僕はこれから生まれてくる存在を兄弟と思う事にする。ただ、それはとても時間が掛かる事かもしれない」
直ぐには決して踏ん切りがつかない。
イオンの中で最大限に譲歩した答えだった。
はそれでもその言葉だけで満足だった。
「それでいい。私は多くを願っても求めることはしない。だから、それでいい」
確かにが叶えたいと思っている事はたった一つの事。
それも全て自分の手で自分が動いて叶えようとしている。
だけど、彼女は優し過ぎて自分以外の人の願いまで叶えていて。
そして、最後にいつも彼女の願いだけが叶わない。
努力しても努力しても幾千の時を越えても叶わない。
(の心が折れなかったのは奇跡だとしか言い様がない・・・)
本当に奇跡だとしか思えなかった。
もしかすると自分と同じ様に短い間でも
彼女にあった幸福の日々の思い出が彼女をギリギリの所で生かしているのかもしれない。
危ういその均衡が一度崩れればきっと彼女は壊れてしまう。
たぶん、彼女が同じ時を巡れるのはもう幾度もないだろう。
ならば、自分は彼女にこれから訪れる自身幸福の恩を如何にして返すべきなのか。
答えは決まっていた。
「。話を聞いた以上、僕は言われた通りに動く事ばかりは止める。
僕も自分で考えての願いを叶える手伝いがしたい。だから、一人で抗うのは今日で御終いだ。いいね?」
まだ幼き少年のその言葉に今日何度目かの驚きを示す。
そして、再びその瞳からは涙が零れた。
言葉に出来ない去来する想いを吐き出すように嗚咽を漏らして失く姿に今度はイオンから抱き締めた。
夕日に照らされ橙に染まる二人の影は空が闇色に染まるまでずっと重なり続けて居たのだった。
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