ふいに尋ねられた言葉に何も返せなかった。
心の奥の奥の奥底に蓋をしていたそれが静かにごとりと音を立てて解き放たれた気がした。
貴方が悪い訳ではないのです。
ただ、ただ、脆弱な私の心がいけないのです。






を繋ぐは骨の楔

第十五夜 仮名に秘められし想い







幸村殿を射殺さんばかりの視線で睨み付けながら兄上様が帰られて数日。
以前よりも晴れやかな気持ちで平穏な日々を送っていたある日の事だ。
いつもの様に午後の縁側で幸村殿と茶を楽しんでいた時。
不意に幸村殿が尋ねられた言葉に私は激しく動揺を示してしまった。

「そう言えば殿の仮名には何か意味があるので御座るか?」
「え・・・?」

動きをぴたりと止めて尋ねられた質問を理解しようとする。
しかし、何も考えられない程に真白に染まってしまった頭でそれを理解出来ず、幾度も幾度も反復した。
仮名。
私が用いた仮名に何故その様に興味を持たれたのかは判らない。
きっと少しばかりの好奇心や興味からの疑問だと落ち着いて冷静でいれたなら思い至れたかもしれない。
だけど、その時の私に余裕などなかった。
罪の意識から使ったその名。
私が私自身を呪った由縁の名。
嗚呼、思い出せば私はとてもとても愚かな事にこの幸せに浸かる事に楽し、大罪を忘れていた。
水無月華神。
その名の意味を忘れていたのだ。

殿?」

黙り込んでしまった私を心配してか幸村殿が団子を食す手を止めて私の頬に触れようとした。
ただ、心配で私を案じてのその行為。
その時の私は冷静さを欠いており、動揺渦巻く中だった為、意に反してその手を払いのけてしまった。
渇いた音が辺りに響き渡った。
静けさが増し、風のそよぐ音がやけに耳に焼きついた。
予想以上に強く叩いてしまったのかもしれない。
幸村殿の手を払いのけた手の甲はじんわりと熱を持ち、じんじんと断続的な痛みを感じた。
だけど、それ以上に我に返って顔を上げた瞬間に視界に入った幸村殿の表情の方が、痛かった。
払い除けられると予想していなかった事による驚愕に唖然とし、その後、すぐにどこか傷ついた様に顔を歪められた。
心が酷く酷く握り潰されるんじゃないかと思う程に苦しく、痛くなった。
そんな顔をさせたかった訳じゃない。
まだ整理のつけられていない事柄に不意に触れられて揺らいでいただけなのだ。
でも、それでも、傷つけてしまったのは紛れもなく私自身である。
楽しく、幸せだった一時が一瞬で息苦しく辛いものになってしまい、私はその場に居る事が出来なくなって立ち上がった。

「すみません・・・」

小さく謝罪の言葉を呟いて走り出す私を幸村殿が呼び止める事はなかった。
走り去った私は一人自室に篭る様に障子を閉めるとそのままずるずると床に吸い寄せられる様に腰を下ろす。
仮名に秘められた過去の記憶。
それはもう、四年も前の事だ。
水無月華神というのはその当時私に長らく仕えてくれていた側近であり、教育係であった者の名前。
母の命によって私に仕えてくれていた人間ではあったが師とも言えるその人はとても出来た人であった。
私の境遇も全て承知しており、それもあって常に私の味方となってくれた人。
あの当時、兄上様と等しく大切な人だった。
という名をつけてくれたのも華神だった。
だけど、私と情を深める度にあの人は命を危険に晒していたのだと事が終わってから漸く知った。
本来、あの人に下された命は私を男として武人として立派に育てて伊達家を継がせるに相応しい者にする事。
その為に、情の一切合切を捨て教育せよと言うものだった。
教育はしっかりとしていたが情を捨てる事の出来なかったあの人は四年前の雪が静かに積もる日、何者かに殺された。
それが母の手のものだと知るのに時間は掛からなかった。
あの人は自分の思い通りになれば気が済まない。
鬼女の様な冷酷非道な人だ。
私が一層母を憎み、恐れを抱き始めたのがこの事件がきっかけに寄るものである。
私は幾度も幾度も母に大切なものを奪われる。
最初は手鞠、次に飼っていた小鳥、その次に人。
否、本当に一番最初に取られたものは女である私だろう。
そして、今もあの人は私を苦しめる。
過去の幻影になって幾度も幾度も。
もう、解放して欲しいと願う。
それには・・・
それには、あの人を殺すしか手はないのかもしれない。
そう思い立った私は自分の愚かな考えに頭を振った。
まるであの人と同じ様な事をしてどうすると自嘲しながら。

「結局、私はあの人の子なのだな・・・」

子は親を選べない。
幾ら年月を経ようとも私があの人の腹から生まれた子であり、あの人と同じ血を持っている事には変わりないのだ。
その繋がりがある以上、私はあの人から逃げれない。
思わず苦しくなってそのまま膝を抱えて丸くなる。
理由もなく流れる雫に疑問なんてない。
苦しく、苦しく、辛い想い。
嗚呼、こんな時、私は愚かにも逢いたいと想った。
先程、傷つけてしまった。
もう失くす事など絶対ない様にと願う大切な人を。