「で、伊達に一時戻りたいと?」
「はい。何もなければ幸いですが何かあってからでは遅いと思うのです」

伊達に一時帰省したいというの申し出に信玄は考え込む。
の気持ちは良く理解していた。
しかし、信玄はそう易々との帰省を許す訳には行かなかった。
今やは武田の人間・・・武田信玄が義娘なのだ。
伊達家を思う気持ちがあれどそれを大っぴらにしてしまえば反感を買い、危険に晒す事となる。
信玄は心中苦しみながらも漸く口を開いた。

の気持ちはよう判った・・・が、此度は帰省を認める訳にはいかぬ」






を繋ぐは骨の楔

第十八夜 虎の想い、鬼の想い、龍の想い







「御館様・・・それは、如何な理由があっての御判断ですか!?」

は珍しく取り乱した。
が、聡明であるは信玄が苦しんで出した決断であると言う事にその瞳の揺らぎを見て気づき、口を噤んだ。
信玄は自分の想いをどことなく察したと感じると静かに口を開いた。

。そなたを伊達に帰してやりたいと思う。兄の危機を案ずるが妹であろう。
しかし、そなたは今や伊達政宗の妹という肩書きを捨て武田信玄が娘となったのだ。ならば自ずと理解できよう?」

はその信玄の諭す様な言葉に俯いた。

「・・・は、い。申し訳ありません。私が浅慮でした」
「いや、構わぬ。ただ、判って欲しい。そなたが家族を想う様にわしも娘であるそなたが心配なのじゃ」

どこまでも優しく見つめる信玄には居た堪れない想いに駆られた。
信玄の痛い程の想いには浅はかな自分が恥ずかしく思えたのだ。
頭を上げて退出の意を申すと静かにその場を後にした。
己が選んだ道なのだ。
武田の人間となり幸村と共に生きていくと。
その為に最優先するは武田である事など判りきっている事。

「なのに、私は何て愚かな・・・」

自己しか顧みぬなんて愚かな者となってしまったのだろう。
結局、私はあの人と変わらぬではないかとは自己嫌悪に陥った。
その時だった。
慌てた足音がこちらに向かってくるのに気づいたのは。
何事だと気づいて顔を上げるとに向かって走ってくる紅い人。

殿っ!!」
「幸村殿・・・」

息を荒げてここまで相当急いで来たのだという事が判る。
一体、どうしたのだろうかと思いながら居ると息を整えた幸村が勢いよく顔を上げて告げた。

殿。佐助から事情は聞いた」
「あ・・・」
「御館様はどう仰られていたのだ?」

どうやら佐助から伊達に帰省する事を申し出るという話を聞いて走ってきたらしい。
は少し間を置いてから私室で話そうと申し出て場所を変えて事情を説明した。

「そう、か」
「ええ、ですので私は今動くつもりはありませぬ。御館様の御意思ですし、私が浅慮だったのですから」
殿・・・」

今は如何する事も出来ないというもどかしさから震える手。
それに幸村は気づきそっと手を重ねた。
その温もりには目を見開いて驚くが自身を想う幸村の優しさなのだと思い、更にその上に自身の手を重ねた。

が政宗殿を案じるは道理。何もそこまで自分を責めずとも良い」
「幸村殿・・・」

嗚呼、本当にこの人は何でこう欲しい言葉を言ってくれるのだろうかと
は溢れんばかりの温かな気持ちに口を閉じてそっとその肩口に頭を預けた。
今はどうしても不安でその温もりが恋しくて仕方なかった。
幸村もそれを理解してそっと抱き寄せた。
この温もりが少しでも不安を取り除ければと強くそう思いながら。

は優しい。それが故に全てを背負い込もうとする。
俺はそんなの憂いを晴らすと誓った。だから案ずるな。政宗殿への手は俺が打つ」

力強いその言葉には頷き、そっと瞳を閉じる。

「はい。幸村殿がそう仰られるなら私は信じて待ちます。ありがとうございます。
ですが、今少しこのままで居させて下さい。心弱い私の願いをもう暫く聞き届けて下さい」
「ああ、が落ち着くまでずっとこうしていて構わぬ」

幾ら武に秀でていようとも心優しく人一倍大切な者の死に弱い
絶対に悲しませはせぬと義姫への対策を考えながら幸村はを更に強く抱いた。
それから暫くしてが安堵からか眠ってしまったので布団に寝かし付けると佐助を呼び出した。

「佐助。居るか?」
「はいはいっと。居ますよ。真田の旦那」

軽い身のこなしで降りて来た佐助に幸村が険しい表情で告げた。

「佐助。お前は義姫の動向をどう考える?」
「・・・俺の推測なら伊達へのすぐさまの攻撃はないと思う。
何らかの形でちゃんを利用し、油断させた所で当主である伊達の旦那を殺害。
もしくは伊達家の戦力を削ぎ、奇襲で討つってのも考えられると思う」
「俺も同じだ。殿を無意味に生かしている理由とすれば利用すると言うのが一番考えられる事。
殿をまだ伊達の当主にする気でいるというのも考えられるがな。どちらにせよ。義姫を自由にしておけまい」

全ての憂いの根源である義姫を叩けば状況はある程度変わる。
それが最善であると読んだ幸村は佐助に静かに告げた。

「佐助。義姫を暗殺せよ」
「・・・いいけど、俺の判断でさせてもらってもいい?」
「構わぬ。現状は全て佐助に任せておるしな。佐助なりに何か引っ掛かる部分もあるのだろう?」
「まあ、ね。状況が変われば一度こちらに戻ってくるよ」
「判った」

佐助の引っ掛かりが何なのかも気になったがもう姿の見えなくなった佐助に問う訳にも行かず瞳を伏せる。
本当ならば暗殺などせず己の槍で葬りたいと考えていた。
最愛のを生まれてからずっと苦しめる存在を。
簡単に殺さず痛めつけて苦しめて思い知らせて殺したいと。
だが、その想い以上にの憂いを早く晴らしてやりたいと言う気持ちが強かった。
だから、暗殺という手に出たが果たして簡単にいくだろうか。
何せ、義姫と手を結んだのが松永か豊臣であるのだ。
いつ状況が変わるかは判らぬ。

「しかし、状況が変われど俺は義姫を殺すだろうな。どんな手を使ってでも」

愛した時から決めていた。
の為ならば鬼にも修羅にもなろうと。
浅い呼吸を繰り返し、静かに眠るの髪をそっと撫ぜてその額に口付けを落とした。
慈しむ様に、愛おしむ様に。
果てしなく優しい狂気に満ちた瞳の鬼と静かに眠る龍を月光だけが見守っていた。