あれから数週間が経とうとしていた。
再び密偵として母の元に向かった佐助は未だ戻って来ていない。
それに一抹の不安を感じたのは虫の知らせだったのかもしれない。
気のせいだと頭を振って溜息を吐くと見上げていた月を背に部屋へと戻ろうとした。
しかし、その足は不意に動かなくなる。

「こ、れは・・・!?」

体の力が抜けていくのを感じると共に瞼が重くなっていく。
そして、意識が完全に途切れる前、男の声が響いた。

「卿からは全てを貰おう。別に構わぬであろう?昔に戻り、傀儡と成り果てればいいのだから」

嘲笑と皮肉が混じったその声は恐ろしいあの母に似た剣呑としたものを秘めていた。






を繋ぐは骨の楔

第十九夜 龍を壊す事を切望する梟







「真田の、旦那・・・っっ!」
「佐助!?如何したのだ!?その傷は!」

殿に呼ばれた気がして城内を捜す歩いていると酷い怪我をした佐助が転がる様に落ちてきた。
慌てて駆け寄り抱き起こすと佐助は必死に口を開く。

「旦那、義姫と手をっ、組んでるのは、松永だ!それも、目的はちゃん自身みたいで・・・」
「なん、だと?手を組んだ理由は殿か?」
「それと、伊達の旦那の刀、だって話」
「そうか。判った。至急策を立てるとして今は殿の姿を確認してくる。何故かは判らぬが嫌な予感がする」

幸村は人を呼ぶと佐助の手当てを任せて城内を駆け、の姿を捜す。
声を上げて呼べば大体いつも姿を見せてくれるのだが一向に現れる気配がない。
おかしいと首を捻りつつもの部屋の前に辿り着くと幸村は自身の口と鼻を手で覆った。
異様な香りがその場には立ち込めており、その香りの発生源を探ると庭の木々の合間に小さな香炉が見つかった。
明らかに人為的なそれにの部屋を開ければやはり姿はなく、
幸村は冷や汗を流し、最後に自身の主、武田信玄の元に走った。

「失礼します。御館様!!」
「如何したのだ?幸村。何やら焦っているようだが・・・」
「御館様、殿の行方を知りませぬか?」

幸村の問いに信玄は知らぬがと答えながら怪訝に眉を顰める。
返ってきた答えに幸村はついに不安が的中した事を悟るとすぐに信玄に事情を説明し始めた。
松永久秀と義姫が手を組んだ事、が狙われている事、伊達にも危機が迫っている事を。

「何と・・・!では、は松永の手に落ちたのか!?」
「城内をくまなく捜しましたが姿が見えませぬ。そう考えるのが自然かと・・・」

ぎりっと悔しげに歯を噛み締める幸村の姿に信玄は苦々しげに口を開いた。

「そうか。を取り戻すにせよ。準備が必要じゃ。
幸村、今は耐えるのじゃ。決して一人で先走るでないぞ。判れば今すぐ兵を集め、戦の仕度をせよ!」
「・・・はっ!!」

本当は今すぐ単身で乗り込んででも救い出したい。
しかし、それたった今、御館様に禁じられてしまった。
納得は出来ぬがそれが最も最善である事は自分が一番よく理解していた。
拳を強く握り締め、爪が皮膚を食い破る程力が入っている事にも気付かず幸村はただ、悔恨に顔を歪め、走った。






一方攫われたは肌寒さに身を振るわせて瞼をゆるりと開けた。
そこは見慣れぬ城の一室ですぐに意識を失う前の事を思い出し、飛び起きる。

「――っっ!!」

薬が抜け切っていないのか頭痛が襲い、顔を顰めるがそれよりも鳴り響いた金属の擦れ合う音に自身の手足を見た。
両手両足に枷がつけられ、長い鎖により四方の柱に繋がれているのだ。
長さがそれなりにあるので歩けるがこの部屋からは出さぬと言う事なのだろう。
一体、誰がこんな事をしたのだと考えを巡らせるが答えは出ない。
思い当たるのは最後に聞こえたあの声の男。
そこまで考え付いた所で一人の男が部屋の中に入ってきた。

「これはこれは目覚めておいでだったか。伊達の姫君。いや、今は武田の姫か?」
「貴様が私をここまで連れてきたのか・・・目的はなんだ!?」
「取り敢えず落ち着くといい。卿を殺すつもりはない。私の名は松永久秀。私はね。
卿と卿の兄からあるものを貰いたいだけなのだよ。何、許可なら取ってある。卿の母上殿からね」

母の一言に身を強張らせて青褪めるに松永は満足そうに微笑む。

「私は卿の事が非常に気に入っている。
卿は己の欲するままに忠実に動き、紅蓮の鬼を手に入れた。その身を餌にあの鬼を手懐けたのであろう?」
「違うっ!」
「幾ら否定してもあの義姫の血が流れているのだ。卿は無意識に自身を餌にしている」
「違う!私はあんな人とは・・・」

強く否定しては松永の腕から逃げようとするが所詮は男と女。
力で勝てる筈もなく、そのまま押さえ込まれる。

「卿は欲望に忠実であり、その上、その美貌だ。私は卿を見た瞬間から卿を心から欲したよ。
そこへ義姫から伊達を手に入れる為に力を貸してくれと要望があった。後は察しがつくであろう?」
「っっ・・・!あの人は兄上を如何するつもりだ!?」

の問いに松永はほくそ笑む。
そして、そっとの髪を一房取り、それに接吻を施すと耳に顔を近づけて酷く優しい声色で囁いた。

「言わずとも消すのだよ。そして、伊達の家を思うがままに動かす。
私は協力の報酬に卿を貰う。実に良い取引だろう?どちらも望み通りだ」
「私はお前のものなどにはならないっ!!伊達もそう易々と手に入るものでもない!」

力が緩くなったのを見て松永を押し返すと鋭い眼光で睨み付ける。
松永はそれを見て別段驚く事もなく、愉快に笑って見せた。

「紅蓮の鬼が居る限り自分は何をされても折れぬという事か。
だが、その鬼を殺せばそなたの心はいとも容易く手に入るであろうな」
「何、を言って・・・・」
「ん?聞こえなかったかね?真田幸村を殺してあげようと言ったのだよ」

軽い調子で告げられた恐るべき一言には顔を青くして目を見開いた。
その様子を見てまた笑みを浮かべると松永は立ち上がり、を見下ろして告げた。

「まぁ、卿が素直に私のものになるならば殺すのを止してもいいがね。暫くゆっくり考え給え」

それだけを言い残すと松永は部屋を後にした。
残されたは力が抜けたように崩れ、不安に怯えた。
幸村が強いと言えども松永は危険だと身をもって感じたからだ。
あの男には恐怖というものがまるでないのだと感じ取れたのだ。

「私は、どうすれば・・・」

ここで自分が松永に自身を差し出した所で幸村の性格からこの場に押しかけてくるだろう。
それに兄である政宗を消すと言っていた事も気になる。
あの男とあの母が手を組めば如何なる事となろうか判らない。
しかし、何を考えても自分に出来る事など殆どない事を動く度に鳴る鎖が知らしめた。