あの手合わせから数日が過ぎていた。
今では武田軍にも慣れ、穏やかな日々を送っている。
それは今までにないぐらい幸せな日々だった。
龍を繋ぐは朱骨の楔
第六夜 狂気の夢を桜の花弁に乗せて
「幸村殿、結い終えましたよ」
髪紐をきゅっと締めると私はそう言って幸村殿の背をぽんっと押した。
すると幸村殿は振り向いて笑顔を浮かべて礼を言った。
「うむ!毎朝かたじけない」
「いえ、私が好きでしていることです。気になさいますな」
そう告げてみればまたにこやかに笑う幸村殿。
ここに来た初日より日課になった光景である。
最近では私も鍛錬に混じるようになり、幸村殿と手合わせする事も多いので少々お館様が寂しそうだ。
しかし、それでいてお館様はいつも女である我が身を気にしてくださっている。
やはり男と女では体格などの問題もあり体力的にキツイだろうと。
特に幸村殿との鍛錬の際などには途中で「そろそろわしが代わろう」と自然に庇ってくださる。
佐助とも最近は仲がよい。(ある意味でだが。)
最初こそは疑いの目を向けられていたが近頃は警戒心も薄くなった。
少しずつではあるがこの武田の人々に信頼されてきたのやもしれん。
だが、所詮は敵だった身。
その思いがあるからかやはり気後れする部分もある。
でも、そんな時は幸村殿がそっと「大丈夫。気にすることはないでござる」と声を掛けて下さる。
それが何よりも心の支えとなっていた。
そう、これほどまでにも私が幸村殿に依存している理由もこの頃になって気付いていた。
恋情からくるものだと。
決して告げようとは思わぬ。
ただ、傍に居たいとそれだけを願っているのだった。
「華神殿!ぼーっとしてどうかしましたか?」
「あ・・・いえ、まだ少し寝ぼけているのやも」
「あはは!それは珍しいでございますな!」
幸村殿がそう笑うのを見て私もつられて笑いを浮かべる。
「そうだ!華神殿。今日は花見にでも行きませぬか?」
「花見、ですか?そうですね・・・このところ鍛錬ばかりでしたし、よい息抜きかもしれませんね」
「それでは決まりでござるなっ!!」
嬉しげに子供のようにはしゃぐ姿を見て微笑ましいと思った。
これが戦場で紅蓮の鬼と恐れられている武将だろうかと思うぐらい。
元来、彼は戦うことは好きでも殺しは好かぬのだろうと思う。
しかし、戦をなくす為には多少の犠牲が必要。
だからこそ仕方なく殺すのだと。
それはこの間、小さな戦に出た時に見た光景で分かった。
彼は戦が終わった後、必ず瞳を閉じて祈っていた。
その背は多くの魂を背負って、責務を背負っている背であり。
彼は必ず戦を失くすと生を奪ってしまった人々に誓っているようであった。
そんな幸村殿を私は優しすぎると思う。
それと同時に私とは違うなと・・・
私は己が為に戦っている。
己が居場所を守る為に。
己が存在を維持する為に。
それが私の戦なのだ。
存在証明という名の戦。
彼を見ていると私の戦はどれほど小さく愚かなものなのだろうと思えてしまう。
そして、私はどれほど非道なのだろうかと。
私は奪った命に対しての弔いなど考えたこともなかった。
その点は私はきっと佐助と近いと思う。
その事を佐助に話して見れば「確かにそうかもねぇ。でも、そこまで気にすることじゃないでしょ?」と言って笑われた。
理由なんて所詮人それぞれなのだから気にすることはないと。
幸村殿がただ純粋すぎるのだからと。
確かにそうかもしれない。
けれど、私はやはり・・・
「華神殿!!!大丈夫でござるか?今日はえらくぼーっとしているが・・・」
「申し訳ない。折角、花見に来たのに一人思考に耽るなど無粋な真似をしてしまいましたね」
そう謝ると彼は首が飛んでいくのではないかというぐらい激しく横に首を振った。
「某はそれしきのこと気にせぬ」
「かたじけない」
彼の笑顔に感謝を込めてそう告げると彼は思い出したかのように荷物を漁りだした。
「これでござる!!やはり花見には団子だと思い持って来たのでござる!!」
「幸村殿は花より団子ですね」
「そ、そんなことはないでござるよ!!」
私が意地悪を言うと顔を赤くして恥ずかしそうに否定する。
でも、そう言いつつも私に団子を一本差し出した。
「ほら、華神殿も!」
「それでは・・・一本失礼させていただく」
一串手に取り団子を口に含む。
上品な甘さが口の中に広がる。
「美味ですな。・・・それにしてもこのような花見をする穴場があるとは思いもしませんでしたよ」
「たぶん某以外ここに来る者はいないと思うでござる。
ここに連れて来た人は華神殿が初めてであるゆえ。・・・なんせ、某の秘密の場所でござるから」
その言葉に私はきょとんとした。
「私が初めてなのですが?それに幸村殿の秘密の場所なのに何故、私を・・・?」
私が率直にそう尋ねると幸村殿は言葉を濁した。
「い、いや!それは・・・その・・・」
「??」
唸りながらひたすら言葉を捜す幸村殿を見てだんだんと私は可哀想なことをしたような気分になる。
「幸村殿。無理には聞きませぬゆえ御気になさらずともよいですよ?」
「い、いや!しかし、華神殿は気になっているのでござろう!?」
「あ、いえまあ」
気迫に押されて曖昧に答えると幸村は再び唸りだした。
やはり大変可哀想なことをしている気がする。
私はそう思いふと幸村殿の手を引いた。
ただ、それは無意識での行動だったのだ。
本当に無意識の行為。
「幸村殿」
「華神殿・・・?うわぁっ!」
彼の腕を思いっきり自分の方に引っ張る。
そうすれば自然と彼の身体は私の方に倒れてくることとなる。
その彼の頭を膝に乗せてやるとぽんぽんと頭を撫でた。
「悩むのは終わりにしましょう。今はただこの綺麗な愛でようではありませんか」
「華神殿・・・そう、でござるな」
「ええ」
納得した彼はそのまま気持ち良さそうに桜を見た。
桃色の花弁がひらひらと舞う中、手を掲げる。
さすれば彼の手の平には桃色の花弁が一枚乗る。
淡い桃色の花弁。
その花弁を見て幸村殿は私に視線を映した。
「桜はまるで華神殿のようでござるな」
「私ですか・・・?」
私は急に振られた話に疑問符を浮かべた。
すると幸村殿はふと笑みを浮かべて告げる。
「儚くそれでいて美しく気高い。華神殿のように」
「そ、そんなことはありません。美しいなどと恐れ多い」
「そんなことはないでござる。殿は美しいでござる」
そう言って幸村殿は私の頬に手を伸ばし撫ぜた。
甘く優しく軽やかに。
温かなぬくもりに私は瞳を閉じる。
この方の全てになりたいと願ってしまう。
「幸村殿・・・」
「華神殿・・・一人で悩まないでくだされ。某はずっと傍にいるでござる。だから・・・」
嗚呼、この人は私の気持ちまで気付いていてくれたのか。
私は思わず込み上げてくる想いに胸がいっぱいになる。
「はい・・・幸村殿がおっしゃるのならば・・・」
そう告げると彼はどこまでも優しい笑顔を浮かべられた。
私は自然とその笑顔を見るうちに彼の頬に手を当てた。
そして、静かにその唇に自らのそれを重ねた。
甘く、甘く。
甘美な接吻を桃色の花弁が舞う中、交わす。
互いに言葉を紡ぐわけでもなく。
拒絶するわけでもなく。
ごく自然の行為の如く、接吻を交わした。
そして、顔を上げた時、私達は互いにばっと我に返り身を離した。
「男だというのにこのような行為、お許しくだされ・・・」
「い、いや、某こそ・・・」
互いに謝り合う。
その姿は滑稽だったかもしれない。
その後は普通どおりに互いに振る舞い城に帰った。
明日になればきっと前日のように普通になる。
そう、あれは桜が見せた狂気な夢なのだと私は言い聞かせて眠った。
まだ唇に残る熱い感触を感じながら。
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